と聞く。そうだと答えると、「昨晩、野口さんがおいでになりまして、お手紙が置いてございます。」と、言って一通の手紙を出した。それを受取ると言って立っている私を、紋付の男が笑いながら二階に上った。
私も二階に案内された。
私はいよいよ遠野に着いたのだ。
野口君の手紙に、野口君はちょっと用事ができて一晩泊りで村の方へ行くとしてあった。私は次の日一日は、この旅宿《やどや》の二階にひとりでぼつねんとしていねばならぬ。
四
朝起きると、私は町に出て見た。広い町すじは、軒が長く出て家が暗く見える。私はあてもなくその通りを歩いて行った。すると家々から、店を整頓させながら、町の人が不思議そうな顔をして私を見ている。水にまじった油の一滴のように私は見られているのを感じた。
帰ってくるところに、きのうの紋付の羽織が今日は紺の背広を着て、ぼやけた四十男と二人で町を通った。
昼少し過ぎたころ、私はひとりで唖のような顔をして室の中に坐っていた。あまりの無聊なために私は心がどろっとなってしまった。
ところへ、隣の室にドヤドヤと人がはいって来た。疲れたらしい調子で、
「ヤレ、ヤレ」と大きく言って、一人がドタリと坐った。それに続いて下女がはいって[#「はいって」は底本では「はいつて」]行くと、
「姉さん、何よりまあめし[#「めし」に傍点]を喰わせて下さい。また早速出かけるのだから。」と高調子に言った。何か汗ばんだ[#「汗ばんだ」は底本では「汗ばんた」]顔をしてでもいるように思われる。
「それで……」と、ちょっとひっそりしたと思うと、またそのせわしそうな声が聞こえる。
「君、まず愛国婦人会の名簿は見たから、午後は一つ有力家の家を訪問するんだ。ね、役場に行って町長さんにお目にかかりとうございますとやったのはよかったろう。」
「うむ、僕も大いに感心した。それで午後はどこに行こう?」と、ぼやけた声がする。
「一つ愛国婦人会の幹部の家に行こう。そして、ぜひあなた方の御盡力で一つ、……とやるんだね。」
二人は食事しながら話しているらしい。私は何をしに来た人達かと思った。
下女がはいって来たから聞くと、盛岡の孤児院の人で、こんど遠野で慈善音楽会をするのだと言った。
慈善音楽会か。私は昨夜の馬車から見た雪に埋もれた山野を思い出して、慈善音楽会があると聞いた時には、深山で波の音を聞
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