色を驚ろいて見ていた。自然がつく緩い深い吐息を聞いた。この奥に不思議な世界が静かに千年の昔から横わっているようで。……すると、後の馬車で垂幕を上げた。ほの白い中に見えるのは例の赤い面の男と、それに対い合ってのぼせたような娘の顔とだった。と同時に、その中から二三人が声を合わせて笑った。男も女もはしゃぐ絶頂にのぼっているような顔をしていた。男は例のように対手なしににたにたしていた。
寒さが身に沁みてくる。私は幕をおろして、肱でからだを支えて、煙草をくわえたが、目をつぶっていると何とも知れぬ深い暗い底に堕ちて行くようだ。
道はまだのぼりだと見える。私はいくどもからだを動かしては、そっと恐ろしいものを覗うようにしてそとの景色を見た。そしてじっと心が一つに集るようになってくると、折々、後の馬車でドッと笑う声が聞こえる。女がうわずった、少し熱でも病んでいるような声をして笑う。私は苦笑した。と、馬車は俄かに駆け出した。薄暗くなって行く中を嵐と雪との中にまじって狂うように駆けて行く。由爺は馭者台の上に腰をかけて、ラッパを吹いた。長い息で、いつまでも吹く。……その響きがこの人気のない山の中に響きわたる。それで馬も人も勇んでいる。
ぼっとりと闇になってしまった。車の中では互いに顔が見えなくなるのをわびしく思った。で、そろそろ話をはじめた。
「一体、遠野に何しにおいでです?」と老人が今朝からの疑問を、はじめて私に聞いた。
「ええ? 友人がいますのでね。遊びに来ました。」私は軽くこう言って笑った。
「遊びに?」老人は信じないらしい口振りでつぶやいた。
「大変おもしろい話のある土地だと聞いていましたので。」と言うと、
「ハア、遠野が?」不思議そうにしているので、私は単純に遊びに来たとだけ言っても、腑に落ちまいと思って遠野に古跡があるそうだがと聞いた。と、こういうところに折々そういう人がくると見えて、私をこの地方の歴史の研究者だと思ったらしく、その方の土地の人を三四人紹介してくれた。それから話のいとぐちがついて、商人体の男も暗の中でいろいろの話をはじめた。私は幾度もマッチをすって時間を見た。遠野へ着くのは早くも十時過ぎだろう。私は心ひそかに夜更けてからの寒さを恐れた。
由爺のラッパはますます調子よく響く。と、そとに燈火が見えて、馬車が十五六軒ならんだ家の間を通った。
「上鱒沢《かみます
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