釜無《かまなし》川の低地をまえに、仙女いますらん島にも似たる姿、薄紫の色、わが夢の色。ゆくてに高きは、曾遊《そうゆう》の八ヶ岳――その赤岳、横岳、硫黄《いおう》岳以下、銀甲つけて、そそり立つ。空は次第に晴れて山々も鮮《あざや》かに現れる。左の窓からは、地蔵、鳳凰《ほうおう》、駒の三山、あれよ、これよと、M君がさす。ああ駒か。そのいかつい肩は、旭日をうけて、矢のような光を放つ。銀、そういう底ぐもった色でない。白金《はくきん》の線もて編んだあのよろい、あの光、あの目を射る光の中に、私は包まれたいのだ。
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かの光、われをさゝん日ほゝゑみて見ざりし国にうつりゆかまし
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 眼ざといM君がさす方に、深い雪の山、甲斐《かい》の白峰《しらね》――北岳だそうだ。この国しらす峻嶺は、厳として群山《むれやま》の後にそびえているのだ。
 車室のうちは大部すいた。私たちは寛《くつろ》いでこの大景に接していた。八ヶ岳をあとにして、諏訪湖に添いゆくころから、空はどんよりとして来た。白いものがちらちら落ちそめた。きけば隔日ぐらいに降るとの事、すこし気が沈む。天竜川の川べをゆけば、畑に桑の枝は束ねられ、田の面《も》の薄氷《うすごお》れるに子どもはスケートをしている。藁鞋《わらぐつ》はいてゆく里人を車窓より見まもりゆくうちに鉢伏《はちぶせ》山右手に現れ、桔梗《ききょう》が原に落葉松《からまつ》寒げに立っていた。
 松本で小さい馬車に乗りかえた私たちは、曇った空の下を浅間へ、十二時ごろ西石川の二階に通り、一風呂浴びて休むうちに雨、それが雪に変って、高原の寒さが身にこたえる。信州にはじめて入ったM君は、炬燵櫓《こたつやぐら》の上に広盆しいて、焜炉《こんろ》のせての鳥鍋をめずらしがっていた。

    一たび武石峠へ

 雪もよいの空、それに元日のお雑煮《ぞうに》おそく、十一時すぎにやっと宿を出た。一路ただ東へと。案内者は去年の雪の多かった事、腰まであって、あがきがとれず、美術学校の人の供をして、朝の十時に宿をたったが武石峠へいったら、とっぷり日がくれ、小屋に一泊したというような事など話す。宿でも八、九時間の道程といったれど、険なりとも思われぬ往復六里弱の道、何ほどの事かあらんと足をあげる。沢をいって、浅間のものの水汲むというあたりに外套《がいとう》をぬぎ、雪ふ
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