》にもやって来なかった、――そして時は刻々に過ぎてゆく。私は全身を支配している神経過敏を理性で払いのけようと努めた。自分の感じていることのまあ全部ではないとしてもその大部分は、この部屋の陰気な家具――吹きつのってくる嵐《あらし》の息吹《いぶき》に吹きあおられて、ときどき壁の上をゆらゆらと揺れ、寝台の飾りのあたりで不安そうにさらさらと音をたてている、黒ずんだぼろぼろの壁掛け――の人を迷わすような影響によるものだと無理に信じようとした。しかしその努力も無駄《むだ》だった。抑えがたい戦慄《せんりつ》がだんだん体じゅうにひろがり、とうとう心臓の上にまったくわけのわからない恐怖の夢魔が坐《すわ》った。あえぎもがきながらこれを振いおとして、枕の上に身を起し、部屋の真っ暗闇《くらやみ》のなかを熱心にじっと見つめながら、耳をそばだてると――なぜそうしたのか、本能の力がそうさせたというよりほかに理由はわからないが――嵐の絶え間に、長いあいだをおいて、どことも知れぬところから、低い、はっきりしない物音が聞えてきた。わけのわからぬ、しかも堪えがたい、はげしい恐怖の情に圧倒されて、私は急いで着物をひっかけ(もう夜じゅう寝られないという気がしたから)、部屋じゅうをあちこちと足早に歩きまわって、自分の陥っているこの哀れな状態からのがれようと努めた。
こんなふうにして三、四回も歩きまわらないうちに、かたわらの階段をのぼってくる軽い足音が私の注意をひいた。私にはすぐそれがアッシャーの足音であることがわかった。間もなく彼は静かに扉を叩《たた》き、ランプを手にして入ってきた。その顔はいつものとおり屍《しかばね》のように蒼ざめていた、――がそのうえに、眼には狂気じみた歓喜とでもいったようなものがあり――挙動全体には明らかに病的興奮を抑えているようなところがあった。その様子は私をぎょっとさせた、――が、とにかくどんなことでも、いままで長く辛抱してきた孤独よりはましなので、私は彼の来たことを救いとして歓《よろこ》び迎えさえした。
「で、君はあれを見なかったのだね?」しばらく無言のままあたりをじっと見まわしたのち、彼はふいにこう言い出した。――「じゃあ、あれを見なかったんだね? ――だが待ちたまえ! 見せてあげよう」そう言って、注意深くランプに笠《かさ》をかけてから、一つの窓のところに駆けより、それを嵐に向
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