えがたい畏怖《いふ》の念が湧き起ったのである。
友のこの幻想的な概念の一つは、それほど厳密に抽象性を持っていないので、かすかにではあるが言葉でそのだいたいをあらわすことができるかもしれぬ。それは小さな画で、低い壁のある、平坦《へいたん》な、白い、切れ目もなければなんの装飾もない、非常に長い矩形《くけい》の窖《あなぐら》または地下道《トンネル》の内部をあらわしていた。その構図のある付随的な諸点は、この洞穴が地面からよほど深いところにあるという感じをよく伝えている。この広い場所のどの部分にも出口がなく、篝火《かがりび》やその他の人工的な光源も見えないが、しかも強烈な光線があまねく満ちあふれて、全体がもの凄《すご》い不可解な光輝のなかにひたされているのであった。
病的な聴覚神経のために、絃楽器のある音をのぞいて、あらゆる音楽が彼には堪えられなかったことは、前に述べたとおりである。彼の演奏に大いに幻想的な性質を与えたのは、おそらくこのように彼がギターだけにせまく限ったためであったろう。しかし彼の即興詩を作る燃え立つような神速さ[#「神速さ」に傍点]にいたっては、同じようには説明することができない。彼の不思議な幻想曲の歌詞はもとより、その曲調も(というのは彼はちょいちょい韻を踏んだ即興詩を自分で伴奏したから)、前に述べたような最高の人為的興奮の特別の瞬間にだけ見られる強烈な精神の集中の結果であるべきだったし、また事実そうであったのだ。このような狂想曲の一つの歌詞を私はたやすく覚えてしまった。彼がそれを聞かしてくれたときそんなに強い印象を受けたのは、おそらく、その詩の意味の底の神秘的な流れのなかに、アッシャー自身が彼の高い理性がその王座の上でぐらついていることを十分に意識しているということを、私が初めて知ったように思ったからであろう。『魔の宮殿』という題のその詩は、正確ではないとしても、だいたい次のようなものであった。――
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一
善き天使らの住まえる、
緑いと濃きわれらが渓谷《たに》に、
かつて美《うる》わしく宏《おお》いなる宮殿《みやい》――
輝ける宮殿――そびえ立てり。
王なる「思想」の領域に
そは立てり!
最高天使《セラフ》も未《いま》だかくも美わしき宮の上に
そが翼をひろげたることなかりき。
二
黄なる、
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