烽チとよく聴くために《プール・ミュウ・ザンタンドル・ラ・ミュジィク》――部屋着《ローブ・ド・シャンブル》を持ってこいと言ったことを思い出させるよ。彼らの達した結果には、ときには驚くべきものがある。が、その大部分は単なる勤勉と活動とで得たものなんだ。この二つが役に立たないときには、彼らの計画は失敗する。たとえば、ヴィドックは推量がうまくて、根気強い男だった。しかし、考えに教養がなくて、いつも調査に熱心すぎるためにしくじっていた。彼は物をあまり近くへ持ってくるので視力を減じたのだ。一、二の点はたぶん非常にはっきり見えたかもしれん。が、そのためにどうしてもものごとを全体として見失うんだね。こういうわけで、あまり考えが深すぎるということがあるものだ。真理は必ずしも井戸のなかにはない。事実、重要なほうの知識となると、それはいつも表面《うわべ》にあるものだと僕は信じる。深さは、真理を探し求める渓谷にあるのであって、その真理が見出される山巓《さんてん》にあるのではない。こういった誤謬の典型は、天体を観察するときのことでよくわかる。星をちらりと見ることが――網膜の外側を(そこは内側よりも弱い光線を感じ
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