よくぞ能の家に
二十四世 観世左近
−−
【テキスト中に現れる記号について】
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)たう/\たらり
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから2字下げ]
−−
[#ここから2字下げ]
およそ千年の鶴は、万歳楽と謡うたりまた万代の池の亀は、甲に三極を備へたり。渚のいさご索々として、あしたの日の色を朗じ、滝の水冷々として、夜の月あざやかに浮かんだり。天下泰平国土安穏、今日の御祈祷なり。
[#ここで字下げ終わり]
「翁」の章句である。この一節を謡ふ時は、何とも云へない晴々しい爽かな気分になる。元服の披露に初めて「翁」を舞つてから、今日まで凡そ百に近い数を重ねてゐる私だが「翁」は何べん舞つても、そのたびに心身の新なものを感じる。わけて正月の初会能に勤める時は、われながらまことに目出度い心持に溢れ、よくぞ能の家に生れて来たと思ふ。注連飾りに囲まれた能舞台に坐つて、初春の朝の日を浴びながら「たう/\たらり」と謡ひ出す気持は何ともたとへようが無く、その悦楽は経験した者のみが知るであらう。
「翁」は家の先祖観阿弥清次が応安の昔初めて将軍義満の前で能を舞つた時、大夫の役として第一番に演じた輝かしい記録がある。また世阿弥の時代に、すでにこれを神聖視した文献もあるが、能楽が徳川幕府の式楽となつてから、その取扱はさらに一層厳粛味を加へて来たことは否めない。代々の観世大夫がいかに誇らかに、また厳かにこれを勤めて来たことであらう。総ての大夫は「翁」を心から神聖視して「天下泰平、国土安穏」の祈祷として勤めたから、その見識もまた大層なものであつた。大夫の見識についてかういふ話が伝はつてゐる。
昔将軍家の能で「翁」が初まる時である。吉例によつて熨斗目長上下の若年寄が、能舞台の階段を昇り、橋懸へ来て幕に向ひ「お能始めませい」と声をかけた。これによつて幕が上り、大夫が出て来るはずのところ、どうしたのか一向大夫は姿を見せない。そこで正面の将軍家から楽屋へ使者が立ち「なぜ幕を上げぬか」と訊かれた。すると大夫の言葉に「従来翁を勤めます時には、若年寄が橋懸一ノ松で片膝をつかれて、お能始めませい、の御言葉がありましたのに、今日はその御作法がございませんから、如何なる仕儀かと見合せてをります」とのこと、これ
次へ
全4ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
観世 左近 二十四世 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング