まゝに活殺し得べき動物が、一歩実在性を失ふや、忽ち盛んに人間を悩まし、或は未然を察知し、或は禍福を与奪する。又我々の属性の部分々々でも、抽象的なものほど恐怖の念を唆る傾向のあつたもので、分裂などゝ言へば事々しいが、我身よりあくがれ出づる魂の不随意的な行動を、自ら恐れることすらあつた。かの六条の御息所《ミヤスドコロ》の恐怖などは、啻に道徳上の責任を思つた為のみではなかつたので、寧、我魂魄に対する二元的の感情であつたかと思ふのである。
話が岐路に入つたが、立ち戻つて標山の事を言はう。標山系統のだし[#「だし」に傍線]・だんじり[#「だんじり」に傍線]又はだいがく[#「だいがく」に傍線]の類には、必中央に経棒《タテボウ》があつて、其末梢には更に何かの依代《ヨリシロ》を附けるのが本体かと思ふ。彼是記憶に遠い話よりは、自分に最因縁の深い今の大阪市南区|木津《キヅ》、元の西成郡木津村で、今から十年前まで盛んであつただいがく[#「だいがく」に傍線]に就て話して見よう。
故老の言ひ伝へには、京祇園の山鉾《ヤマボコ》に似せて作つたと言ふが、此と同型の物の分布する地方は広く、五十年や百年以来の思ひつきとは
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