はさずともよろしいと、皇神《スメガミ》の反抗心を挑発する為に、御影を映す鏡を立てた様に言ふのも、必しも不自然な解釈とは言はれぬ。此も神器の絶対の尊厳を会得せしめん為に、皇神其自ら或は其以上との信仰を持たせようとしたものであらうと思ふ。

     二

一昨年熊野巡りをした節、南牟婁郡神崎茶屋などの村の人の話を聞いたのに、お浅間《センゲン》様・天王様・夷様など、何れも高い峯の松の頂に降られると言ふことで、其梢にきりかけ[#「きりかけ」に傍線](御幣)を垂《シ》でゝ祭るとの話であつた。神の標山には必神の依るべき喬木があつて、而も其喬木には更に或よりしろ[#「よりしろ」に傍線]のあるのが必須の条件であるらしい。併しながら依代《ヨリシロ》は、何物でも唯神の眼を惹くものでさへあればよろしいといふわけには参るまい。人間の場合でも、髪・爪・衣服等、何かその肉体と関係ある物をまづ択び、已むを得ざれば其名を呼んだわけで、さてこそ、呪咀にも、魂喚《タマヨバ》ひにも、此等のものが専ら用ゐられたのである。尤、素朴単純な信仰状態では、神の名を喚んだゞけで、其属性の或部分を人間が左右し得たので、神は即惹かれ依る
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