籠の類も、単に其起原を支那・天竺に覓めたゞけでは、必手の届かぬ痒い処が残るはずで、他の二種のものは姑《しばら》く言はず、切籠燈籠の如きは、到底其だけでは完全なる理会を望み難いのである。自分の考へを言ふならば、切籠燈籠のあの幾何学的構造は決して偶然の思ひ附きではあるまい。
如何なる時代に始つたかは知り難いが、盂蘭盆供燈に目籠の習慣を参酌して見て、そこに始めて起原の暗示を捉へ得る。即、右は全く髯籠の最観念化せられたもので、畢竟供養の形式に精霊誘致の古来の信仰を加味したもので、表は日本中は天竺と国姓爺《コクセンヤ》合戦の角書きの様な民俗に外ならぬ。精霊は地獄の釜を出ると其まゝ、目当ては此処と定めて、迷はず障らず、一路直ちに依り来る次第であるが、唯怖しいのは無縁の精霊である。其はまた応用自在なる我々の祖先は、此通り魔同様の浮浪者の為に、施餓鬼と言ふ儀式を準備して置いたものである。
此を要するに、切籠の※[#「竹かんむり/(目+目)/隻」、第4水準2−83−82]《わく》は髯籠の目を表し、垂れた紙は其髯の符号化したものである。地方によつては魂送りの節、三昧まで切籠共々精霊を誘ひ出で、此を墓前に掛
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