、曳き捨てられただんじり[#「だんじり」に傍線]の車の上に、大きな髯籠《ヒゲコ》が仰向けに据ゑられてある。長い髯の車にあまり地上に靡いてゐるのを、此は何かと道行く人に聞けば、祭りのだんじり[#「だんじり」に傍線]の竿の尖きに附ける飾りと言ふ事であつた。最早十余年を過ぎ記憶も漸く薄らがんとしてゐた処へ、いつぞや南方氏が書かれた目籠の話を拝見して、再此が目の前にちらつき出した。尾芝氏の柱松考(郷土研究三の一)もどうやら此に関聯した題目であるらしい。因つて、自分の此に就ての考へを、少し纏めて批判を願ひたいと思ふ。
髯籠《ヒゲコ》の由来を説くに当つて、まづ考へるのは、標山《シメヤマ》の事である。避雷針のなかつた時代には、何時何処に雷神が降るか判らなかつたと同じく、所謂|天降《アモ》り着く神々に、自由自在に土地を占められては、如何に用心に用心を重ねても、何時神の標《シ》めた山を犯して祟りを受けるか知れない。其故になるべくは、神々の天降《アモ》りに先だち、人里との交渉の尠い比較的狭少な地域で、さまで迷惑にならぬ土地を、神の標山と此方で勝手に極めて迎へ奉るのを、最完全な手段と昔の人は考へたらしい。即
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