はない。唯、今少しく非分業的であつたと思ふのである。併し此赫奕たる太陽神も、単に大空に懸りいますとばかりでは、古代人の生活とは、霊的に交渉が乏しくなりやすい。故にまづ其象徴として神を作る必要が生じて来る。茲に自分は、太陽神の形代《カタシロ》製作に費された我祖先の苦心を語るべき機会に出遭つた。
まづ形代に就て、かねて考へてゐた所を言へば、一体人間の形代たる撫物《ナデモノ》は、すぐさま川なり、辻なりに棄つべき筈なるに、保存して置いて魔除《マヨ》け・厄除《ヤクヨ》けに用ゐるといふのは、一円合点の行かぬ話であるが、此には一朝一夕ならぬ思想流転の痕が認められるのである。神の形代に降魔の力あるは勿論であるが、転じては人の形代にも此神通力を附与するに至つた。其仔細を理解するには、形代に移されたる人の穢れ即悪分子は、八十禍津日《ヤソマガツヒ》・大禍津日《オホマガツヒ》化生の形代をさながらに、御霊的威力を振うて、災禍を喰ひ留めてくれると言ふ外に、尚古代人が実在の親しむべきを知ると共に、実在を超越する程度の高いものほど、怖しさの程度が加はると感じた根本観念を推測して見ねばならぬ。
実在する間は、人間の意のまゝに活殺し得べき動物が、一歩実在性を失ふや、忽ち盛んに人間を悩まし、或は未然を察知し、或は禍福を与奪する。又我々の属性の部分々々でも、抽象的なものほど恐怖の念を唆る傾向のあつたもので、分裂などゝ言へば事々しいが、我身よりあくがれ出づる魂の不随意的な行動を、自ら恐れることすらあつた。かの六条の御息所《ミヤスドコロ》の恐怖などは、啻に道徳上の責任を思つた為のみではなかつたので、寧、我魂魄に対する二元的の感情であつたかと思ふのである。
話が岐路に入つたが、立ち戻つて標山の事を言はう。標山系統のだし[#「だし」に傍線]・だんじり[#「だんじり」に傍線]又はだいがく[#「だいがく」に傍線]の類には、必中央に経棒《タテボウ》があつて、其末梢には更に何かの依代《ヨリシロ》を附けるのが本体かと思ふ。彼是記憶に遠い話よりは、自分に最因縁の深い今の大阪市南区|木津《キヅ》、元の西成郡木津村で、今から十年前まで盛んであつただいがく[#「だいがく」に傍線]に就て話して見よう。
故老の言ひ伝へには、京祇園の山鉾《ヤマボコ》に似せて作つたと言ふが、此と同型の物の分布する地方は広く、五十年や百年以来の思ひつきとは
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