くらでもやどる虫であつた。而も民共は、財宝を捨て、酒・薬・六畜を路側に陳ねて「新富入り来つ」と歓呼したとあるのは、新舶来《イマキ》の神を迎へて踊り狂うたものと見える。此も、常世から渡つた神だ、と言ふのは、張本人|大生部《オホフベ》[#(ノ)]多《オホ》の言明で知れて居る。「此神を祭らば富みと寿とを致さむ」とも多《オホ》は言うて居るが、どうやら、富みの方が主眼になつて居る様である。此神は、元、農桑の蠱術《マジ》の神で、異郷の富みを信徒に頒けに来たもの、と思はれて居たのであらう。
話は、又逆になるが、仏も元は、凡夫の斎《イツ》いた九州辺の常世神に過ぎなかつた。其が、公式の手続きを経ての還《カヘ》り新参《シンザン》が、欽明朝の事だと言ふのであらう。守屋は「とこよの神をうちきたますも(紀)」と言ふ讃め辞を酬いられずに仆れた。
唯さへ、おほまがつび[#「おほまがつび」に傍線]・八十まがつび[#「八十まがつび」に傍線]の満ち伺ふ国内《クヌチ》に、生々した新しい力を持つた今来《イマキ》の神は、富みも寿も授ける代りに、まかり間違へば、恐しい災を撒き散す。一旦、上陸せられた以上は、機嫌にさはらぬやうにして、精々禍を福に転ずることに努めねばならぬ。併し、なるべくならば、着岸以前に逐つ払ふのが、上分別である。此ために、塞《サ》への威力を持つた神をふなど[#「ふなど」に傍線]と言ふことになつたのかも知れぬ。一つことが二つに分れたと見えるあめのひぼこ[#「あめのひぼこ」に傍線]・つぬがのあらしと[#「つぬがのあらしと」に傍線]の話を比べて見ると、其辺の事情は、はつきりと心にうつる。此外に、語部の口や、史《フビト》の筆に洩れた今来《イマキ》の神で、後世、根生ひの神の様に見えて来た方々も、必、多いことゝ思はれる。
底本:「折口信夫全集 2」中央公論社
1995(平成7)年3月10日初版発行
底本の親本:「古代研究 民俗学篇第一」大岡山書店
1929(昭和4)年4月10日発行
初出:「国学院雑誌 第二十六巻第五号」
1920(大正9)年5月
※底本の題名の下に書かれている「大正九年五月「国学院雑誌」第二十六巻第五号」はファイル末の「初出」欄に移しました。
※平仮名のルビは校訂者がつけたものである旨が、底本の凡例に記載されています。
※訓点送り仮名は、底本では、本文中に小書き
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