ひ語り」に傍点]には、不老・不死の国土の夢語りが、必主な題目になつて居たであらう。
三
併しもう一代古い処では、とこよ[#「とこよ」に傍線]が常夜《トコヨ》で、常夜《トコヨ》経《ユ》く国、闇かき昏《クラ》す恐しい神の国と考へて居たらしい。常夜の国をさながら移した、と見える岩屋戸|隠《ゴモ》りの後、高天原のあり様でも、其俤は知られる。常世の長鳴き鳥の「とこよ」は、常夜の義だ、と先達多く、宣長説に手をあげて居る。唯、明くる期《ゴ》知らぬ長夜のあり様として居るが、而も一方、鈴[#(ノ)]屋翁は亦、雄略紀の「大漸」に「とこつくに」の訓を採用し、阪[#(ノ)]上[#(ノ)]郎女の常呼二跡《トコヨニト》の歌をあげて、均しく死の国[#「死の国」に傍線]と見て居るあたりから考へると、翁の判断も動揺して居たに違ひない。長鳴き鳥の常世は、異国の意であつたかも知れぬが、古くは、常暗の恐怖の国を、想像して居たと見ることは出来る。翁の説を詮じつめれば、夜見《ヨミ》或は、根《ネ》と言ふ名にこめられた、よもつ大神[#「よもつ大神」に傍線]のうしはく国は、祖々《オヤ/\》に常夜《トコヨ》と呼ばれて、こはがられて居たことがある、と言ひ換へてもさし支へはない様である。みけぬの命[#「みけぬの命」に傍線]の常世は、別にわたつみの宮[#「わたつみの宮」に傍線]とも思はれぬ。死の国の又の名と考へても、よい様である。
大倭の朝廷《ミカド》の語部は、征服の物語に富んで居る。いたましい負け戦の記憶などは、光輝ある後日《ゴニチ》譚に先立つものゝ外は、伝つて居ない。出雲・出石その他の語部も、あらた代の光りに逢うて、暗い、鬱陶しい陰を祓ひ捨て、裏ぎるものとては、物語の筋にさへ見えなくなつた。天語《アマガタリ》に習合せられる為には、つみ捨てられた国語《クニガタリ》の辞《コト》の葉《ハ》の腐葉《イサハ》が、可なりにあつたはずである。
されど、祖々の世々の跡には、異族に対する恐怖の色あひが、極めて少いわけである。えみし[#「えみし」に傍線]も、みしはせ[#「みしはせ」に傍線]も、遠い境で騒いで居るばかりであつた。時には、一人ぼつちで出かけて脅す神はあつても、大抵は、此方から出向かねば、姿も見せないのであつた。さはつて、神の祟りを見られたのは、葛城[#(ノ)]一言主《ヒトコトヌシ》における泊瀬天皇の歌である。手児
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