むる為、恰好な形式内容を読者にあたへねばならぬことはいふまでもない。
形体的内容は、読者側において生ずるものなることは勿論であるが、作者の予期はおなじく度外視してならぬ。
読者の観照によつてあらはれる写象は、三つの異なる立ち場を有《も》つて居る。
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一、主観的表現
二、客観的表現
三、絶対的表現
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此三つの場合について、簡単な説明を試みよう。
(一)主観的表現といふのは、写象をとほしてある主観が認めらるゝもの。
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君[#「君」に白丸傍点]しのぶ[#「しのぶ」に傍点]草[#「草」に白丸傍点]にやつるるふる里は松虫の音ぞかなしかりける(古今)
わが庵は都のたつみしかぞ住む世を[#「世を」に白丸傍点]う[#「う」に傍点]ぢ山[#「ぢ山」に白丸傍点]と人はいふなり(同)
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前の歌は、忍草のしのぶといふ語を契機として、君しのぶといふ思想が結びつけられて居る。単に景《ケイ》を叙するに止めずして、作者の予期した主観的表現が認められる。
後のも、やはり、世をうぢ山のう[#「う」に白丸傍点]といふ語がはずみ[#「
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