ない。が、昔からあまりにこの思想を重んじすぎて居る。しかも、その根柢においては、詩歌の思想と内容との意義の混同が、大なる原因をなして居るに相違ない。自然主義者の所謂「真《シン》」の意義も、この点の分別が大分《ダイブ》欠けて居るやうに見える。つまり、汲々として、皆、形式、内容の交渉分離を知らずして、唯、思想を偏重した弊を脱することが出来ないのである。
この前提に立つて、自分は新に形体的内容、実質的内容といふ新名辞の説明を試みたい。
実質的内容とは、作者の予定より来る内容で、第一次思想から来るものであるから、これを直接内容とも名づけることが出来よう。次に、形体的内容とは、内容の予定なくして聯ねられたる言語が、偶然にある内容を有する形式となつた場合のその内容をいふので、畢竟実質的内容とは、思想より一直線に来る第二次思想、形体的内容とは、思想を発表する径路において、言語形式の為に、ある他の内容を形つくるもの、いはゞ副産物とも称すべきものである。
この副産物の出来る度合にも色々ある。或はこの副産物と主産物と全く融合して居ることがある。(肯《アヘ》て一致とはいはない。殆ど一致することはあるが、)そ
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