の方がなほ/\理屈におちて趣がない。少しわき路にはいるけれども、この時代の歌にはかういふらむ[#「らむ」に傍線](即ち無意味に現在をやはらげて想像の形をとつた)の例がたくさんある。※[#歌記号、1−3−28]……春がすみ立ちかくすらん山の桜を※[#歌記号、1−3−28]秋萩にうらびれをればあしびきの山下どよみ鹿のなくらむ などは、どうしても現在を柔げたものとしか見られない。めり[#「めり」に傍線]とかべし[#「べし」に傍線]とかがたゞの推量ではなく、推量の形をもつて現在をやはらげる事があるのと同じであらうといふ考で、先生に静心なく花の散ることぢやなあと解したらどうでございませうとお尋ねをしたことがある。が今思うてみれば、心もとなく花が散ることぢやなあと解するのが適当かとおもふ。貫之の※[#歌記号、1−3−28]ことならばさかずやはあらぬ桜花みるわれさへにしづこゝろなし といふ歌を、遠鏡に、見テヰルコチマデガ気ガソハ/\スルハイと解してあるけれど、さうではなくて、「ことならば」がわが身へもひゞいてゐて、桜が散る。それにつけてもわが身が心もとなくおもはれる。桜は気をうき立たすものぢやに却つ
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