は、津堅《ツケン》島の大祝女《ウフヌル》の如きは、其拝をうける座で、床をとり、蚊帳を釣つて寝てゐる。津堅《ツケン》の方は、そこで夫と共寝をする位である。のろ[#「のろ」に傍線]自身が同時に、神であると云ふ考へがなければ、かうした事はない筈である。本島に於て、神を意味するちかさ[#「ちかさ」に傍線](司)は、先島ではのろ[#「のろ」に傍線]と言ふ語の代りに用ゐられてゐる。ねがみおくで[#「ねがみおくで」に傍線]の「おくで」は、久高島では、神の意味らしく使ふ。
生前さへも其通りだから、死後に巫女を神と斎くは勿論である。本島から遠い離島《ハナレ》に数ある女神の伝説は、殆どすべて、島々に巫女として実在した人の話にすぎない。即、沖縄神道では、君《キミ》・祝《ノロ》に限つては、七世にして神を生ずといふ信仰以上に出て、生前既に、半ば神格を持つてゐるのである。羽衣・浦島伝説系統の女神・天女に関する限りなき神婚譚は、皆巫女の上にありもし、あり得べくもあつて(柳田氏)民習の説話化したものに疑ひない。其上余り古くない時代に、久高の女が現にある様に、一村の女性挙つて神人生活を経た者と見えて、今尚主として姉を特殊の場合に、尊敬してうない神[#「うない神」に傍線]といふ。姉妹神の義である。姉のない時は、妹なり誰なり、家族中の女をうない神[#「うない神」に傍線]と称へて、旅行の平安を祈る風習が、首里・那覇辺にさへ行はれてゐる。うない[#「うない」に傍線]拝《ヲガ》みをして、其頂の髪の毛を乞うて、守り袋に入れて旅立つ。此は全く、巫女の鬘に神秘力を認める考へから出たものである。尤、一村の男をすべて、男神《ヰキイガミ》(おめけい神)と見る例は、語だけならば、久高島の婚礼期にもあつた。国頭郡|安田《アダ》では一年おきに、替り番にうない神[#「うない神」に傍線]を拝み、ゐきい神[#「ゐきい神」に傍線]を拝むと称して、一村の女性又は男性を、互に拝しあふ儀式がある。併しゐきい神[#「ゐきい神」に傍線]を男子を以て代表させることは、女であつて陽神専属・陰神専属の神人があつたことの変化したものではあるまいか。でなくては、厳格にゐきい神[#「ゐきい神」に傍線]といはれるのは、根人だけでなければならぬ。事実、男の神人は極めて少数で、男逸女労といはれる国土でありながら、宗教上では、女が絶対の権利を持つてゐたのである。
神人の墓と凡人の墓とを一緒にすると、祟りがあると言ふ。紀に見えた神功皇后の話も此と一つである。
久高・津堅二島は、今尚神の島と自称してゐる土地である。学校あり、区長がゐても、事実上島の方針は、のろ[#「のろ」に傍線]たちの意嚮によつてゐる形がある。
神託をきく女君の、酋長であつたのが、進んで妹なる女君の託言によつて、兄なる酋長が、政を行うて行つた時代を、其儘に伝へた説話が、日・琉共に数が多い。神の子を孕む妹と、其兄との話が、此である。同時に、斎女王を持つ東海の大国にあつた、神と神の妻《メ》なる巫女と、其子なる人間との物語は、琉球の説話にも見る事が出来るのである。
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此短い論文は、柳田国男先生の観察点を、発足地としてゐるものである事を、申し添へて置きます。
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底本:「折口信夫全集 2」中央公論社
   1995(平成7)年3月10日初版発行
初出:「世界聖典外纂」
   1923(大正12)年5月
※底本の題名の下に書かれて居る「大正十二年五月『世界聖典外纂』」はファイル末の「初出」欄に移しました。
※拗音が小書きになっているところは底本通りにしました。
※「かないの君真者《キムマムン》[#「かないの君真者《キムマムン》」に傍線]」は底本では右側に傍線、左側にルビがついています。
※踊り字(/″\)の誤用は底本の通りとしました。
入力:門田裕志
校正:多羅尾伴内
2006年3月21日作成
青空文庫作成ファイル:
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