ある。例へば、さる地位にある人は、其外から来る魂を体に附けなければ、其地位を保つことが出来ないのだ。此を一生に一度やるのが、二度となり、六度行うた時代もあつた様だ。
二度の魂祭り、即、暮と盆との二度の祭りに、子分・子方の者から、親方筋へ魂を奉る式「おめでたごと」と言ふ事が行はれたのは、此意味であつた。「おめでたう」と言ふ詞を唱へれば、自分の魂が、上の人の体に附加するといふ信仰である。正月には魂の象徴を餅にして、親方へ奉る。
朝覲行幸と言ふのは、天子が、親の形をとつておいでなさる上皇・皇太后の処へ、魂を上げに行かれた行事である。吾々の生活も、亦同様で、盆には、鯖《サバ》を、地方の山奥等では、塩鯖を※[#「敬/手」、第3水準1−84−92]げて親・親方の処へ行つた。何時の頃から魚の鯖になつたか訣らぬが、さば[#「さば」に傍線](産飯)と言ふ語《ことば》の聯想から、魚の鯖になつた事は事実である。此行事を「生き盆」「生きみたま」と言ふ。
三
神道の進んで行くある時期に、魂の信仰が、神の信仰になつて行つた事がある。昔は、神ばかり居たのではない。精霊が居て、此が向上し、次第に位を授け
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