須佐神社の念仏踊りを見ても、其中心には、傘の様に竹を割つたものを樹てゝ居る。盆踊りを歌垣の流であると言ふのは、全く謬りで、勝手な想像に過ぎない。男と女とがよれば、其結果、歌垣の終りの如くなるのは当然である。
盆踊りの直接の原因はだから、念仏踊りであることは事実だ。行はれる時期も色々あり、踊り方にも色々あつて道を歩いて踊つて行く踊り、譬へば、阿波の徳島の念仏踊りは其代表的のもので、伊勢踊りと同様である。それから神を迎へて来る道中の踊り、即、伊勢踊りが、七夕や盆の踊りの中へ織り込まれて来た。此だけの要素は、従来の盆踊りの中に、其形式を忘れる事が出来ないものである。要するに、其は盆釜から生れて来た小町踊りと、七夕と同一の伊勢踊りと、根本の念仏踊りとの三要素があるのだ。
中昔の頃には、盆と言ふ時期は、死人の魂が戻つて来ると共に、無縁の亡霊もやつて来ると考へた。其為、家では魂祭りをし、外では無縁の怨霊《ヲンリヤウ》を追ひ払はねばならぬ。此考へが変化して、盆の如く、聖霊も中一日居るのみで、追ひ返へされて了ふ。少しでも、亡霊を嫌がるそぶりを見せると、又戻つて来ると考へた。戻られると厄介だから、名残り惜しい/\と言ふ意味を口には唱へるが、実は嘘で、さう言ひつゝ追ひ払ふのである。此は、雛流し・七夕流しにつき添うた型式である。勿論、其他の無縁の聖霊・悪霊をも、一緒に払ひ捨てゝ了ふのである。
かう見て行くと、複雑な盆踊りの形が、簡単になつて来る。私の盆踊りに対する考へは、簡単ではあるが、大体以上の如きものである。
底本:「折口信夫全集 2」中央公論社
1995(平成7)年3月10日初版発行
※底本の題名の下に「昭和二年六月頃草稿」の記載あり。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2006年12月31日作成
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