うものは、風格が具《そなわ》って来ると、丁度今の羽左衛門のように、気分で見物人を圧して行く。それは容貌に依ってである。役者は五十を過ぎてから、舞台顔が完成して来る。芸に伴って顔の輪廓《りんかく》が、人生の凋落《ちょうらく》の時になって整って来る。普通の人間なら爺顔になりかけの時が、役者では一番油の乗り切った頃である。立役はその期間が割に長い。羽左衛門が今の歳になって、あれだけの舞台顔を持っているのを不思議がるのもよいが、これは不思議ではない。羽左衛門の顔は少し尖《とが》った顔である。あの人は自分の顔にとげ[#「とげ」に傍点]のあることを最初から認めていたからよいのである。立役はそんな具合で少し頬骨が出て来てもよいが、女の役はもう堪えられない。従って女形は割合に早く凋落する。三・四十ではまだ舞台顔はよくない。よくなったと思うとすぐに終りである。
源之助は盛りの時に大きな、役者としての生活に誤りをしている。源之助が大阪へ行った理由をあらわに言い立てるのはまずいという遠慮もあったかも知れぬが、伊原青々園の仮名屋小梅(花井お梅)を源之助は自分で演じている。しかもこの事件が、彼の大阪行きの一番の
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