で、明治二十年から五年くらい大阪に逃げて行っていた間に覚えた芸が、一番本格的なものであった。例えば「夏祭浪花鑑」の徳兵衛の女房おたつの如きは本格的であった。東京で彼が最、影響を受けたのは、田之助・菊五郎の芸だが、彼の直の先輩としてはこの田之助くらいしかなかった。田之助は同じ沢村家の先輩でもあり、当時最評判の高い女形でもあった。だから源之助が田之助を学ぶのは、極めて当然なことで、その前の岩井半四郎と田之助の娼婦《しょうふ》式な役柄の方面が、彼に力強く保たれたのである。
[#ここから2字下げ]
毒婦が認められるようになったのも半四郎からで、「三人吉三」のお嬢吉三のようなものは、もともと半四郎のために書いたもので、後に菊五郎のものとして盛んに上演された弁天小僧などと同様、半男女物と言うべきだが、まあ傾向から謂えば、悪婆物である。
[#ここで字下げ終わり]
これらの半四郎、殊に田之助のしたことを、源之助がいくつもしている。田之助は何も毒婦・悪婆ばかりした訣ではなかったが、その毒婦型・悪婆型が世人に残した強い印象というものが、田之助の死後までも世人は繰り返させようとしたのであって、源之助がそれを
前へ
次へ
全34ページ中28ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング