表れた女形の醜さは、絵に描くときに隠し切れぬ、男の「女」としての醜さである。写楽はそういう女形の醜さに非常な興味をもって、ああした絵をいくつも描いたのだと思う。併しあれは決して誇張ではないので、上方芝居の女形、其に上方の芝居絵は、容貌・体格ともに実に写楽を思わせるものを持っている。
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要は、芸によって美しく見えるということが、平凡でも肝腎《かんじん》なことなので、女形がそれ自身純然たる女を思わせるということに対しては、条件をつけて考えねばならぬと思う。歌舞妓芝居に於ては、女形も女らしい女ではいけない。立役にしてからが、自体、世間普通の男とはどこか違った男である。そうした芝居の世界の男に相応した女でなければならず、現実の世界の女であってはならないのである。それだからこそ、松蔦のような女形では、そぐわないことになる訣である。梅幸なども時代が遅れていたからよいけれど、あれがもっと前だったら、素の美しさを感じ、舞台の男に調和する女の美しさが感じられなかったであろう。
東京の女形は、明治以後、早くから女らしい美しい女形になった。亡くなった歌右衛門が、小杉天外の「はつ姿」か
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