踏襲してその穴をうめるのは当然の勢いのようになっていた。で「廓怪談敷島物語」だの「妲妃のお百」だのというものは、みな田之助・半四郎系統の女形の芸なのである。
源之助に一番困るのは、五代目菊五郎に接近したために、菊五郎の芸をすべて取り入れなければならなくなったことである。一体先代の菊五郎は実に芸の範囲が狭そうに見えて実は広かった人で、元来立役だが、女形も随分したし、それを源之助がほぼうつしているのである。
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今の菊五郎も近頃になって、その家の芸たる女形をして、あの肥った身体でよく一つの面を拓《ひら》いている。踊りの場合は、断篇としては実によい女を表現する。併し、何と言っても真女形《まおんながた》にはなれぬ。先代と比較して今の菊五郎という役者は、役柄の範囲が広い様に見えて、実は狭い役者である。
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所作事《しょさごと》は源之助の得意とするところではないので、先代菊五郎が、「茨木」「戻橋」「土蜘蛛」など沢山の所作事《しょさごと》をしているのはうつさなかった。けれども役者である以上、全然踊らぬのではない。踊りを出し物にする役者が、外にあったと言う訣《わけ》なのだ。又その他にも村井長庵だの、加賀鳶の按摩道玄などの、色めいたところの少しもない悪党役は源之助の演じないところであった。つまり気のよい役はしたが、気の悪い役はしなかったので、尤《もっとも》、それには一部分は源之助自身がしようとしても興行師の方がさせなかったというところはあろうけれど、役者として色気があり過ぎたと言えるかも知れない。菊五郎の芸は市川小団次の芸を移しているので、つまり写実的な生世話《きぜわ》な狂言が多いのだが、それを源之助が継承したのである。そして源之助は、自分の柄に合わないものまで随分している。切られの与三郎や清心のようなものを継承するのは、少しも怪しむに足らぬ至極当然なことだが、場合によっては唯菊五郎がしたからするというだけでするような、源之助自身の柄を考えないところの役もずいぶんある。例えば「四千両小判梅葉」の野州無宿の富蔵・「牡丹灯籠」の伴蔵・宇都谷峠の文弥殺しの十兵衛などがそれで、唯菊五郎がやったからやるというだけのことで、もともと源之助の柄にない役である。
源之助が頻《しき》りに立役をしたのは、明治三十六年五代目尾上菊五郎が死んだ年あたりからである。これは田之助の継承を無理にもさせられた時とは対踵的《たいしょうてき》に、自分からすすんでしたものだった。四谷怪談のお岩・播州皿屋敷の侍女お菊・「恋闇鵜飼燎」などの怪談物で、菊五郎のした女形を可なり克明にうつして、それには成功している。一体彼は容貌|風采《ふうさい》がいいので、何をしても一通り見られるものになった。
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歌舞妓《かぶき》芝居の役者には一体にそういうところがあるので、今の十五代市村羽左衛門が本道に立派な芸を見せて来たのは、最近になってであるし、それまではただその美しい容貌、きゃしゃな風采だけで持ちこたえて来たのである。今の松本幸四郎なども、ひとえにあの立派な容貌と、堂々たる体躯《たいく》に頼っている。最近故人になった市川左団次も同様である。
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源之助の演技について考えてみると、いつも彼の芸はその場その場のもので、極端にいえば稽古《けいこ》など一向しないで、舞台でしているうちに、その場その場に美しい型がくり出されて行くといった様な迷信を持っていた様である。つまり役を確実に把持しなかったということ、又自分の芸に対する反省の足りなかったこと――それらは源之助自身が持っていた外的な天分が豊富でありすぎたために、彼自身もそれに頼りすぎて真剣な勉強をしなかったことによるものであって、そこに彼の最大の欠陥があったようである。
晩年の源之助が不遇であったのは、今述べたような彼の欠陥が禍《わざわい》したのだと思う。勿論彼も随分借金に苦しめられたことだから、そのために苦しまぎれに小さな芝居小屋に出ることになったわけだが、もうどうしても大芝居に根をおろさなければならない頃になっても、歌舞伎座に帰れず、浅草あたりにいつまでも流離しなければならなかったのである。源之助は上達して名人になるためには、煩いになるようなものを余りに沢山持ちすぎていたのであった。今日になって源之助という役者を考えてみると、成程源之助は名人にはならなかっただろう。だが、あれだけの印象を我々に残している人であってみれば、唯の人物ではあるまいと思われるのである。結局、源之助のもので一番残って行くものは、吉原その他の色街の太夫・遊女であったろうと思う。だが、其が彼の素質的なものかどうかは断言出来ぬのである。でも源之助の遊女の定評になった頃には、もう彼がすがれた頃だった。
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