羽左衛門が梅幸を失って、一時源之助を相手にして、直侍三千歳を出した頃には、源之助は如何にもいい芸を見せたが、それが又如何にもすがれていた。だから動きの少い役、例えば佐野次郎左衛門に対する遊女八橋などは実に絶品だった。次郎左衛門の心はよくわかるが、自分では心にきめた恋人があるので、次郎左衛門が如何に口説いても冷然とすましこんでいる遊女八橋の冷淡さなどというものは、あとにも先にもあんな見事な八橋というものはなかった。それから女役者市川九女八のために書かれた「女大觴」や、源之助自身のために書かれた「赤格子血汐舟越」のかしくのお糸などの、女の酔っぱらいの役もよかった。そして源之助の芸の一部は、準弟子たる河合武雄によって継承されたのであった。
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誰しも、自分の為事でない側の事をそそのかすあくとうに誘われると、よい気になって、つい浮かれずには居られぬものである。そうした後で、物蔭から、あれがあの男の酢豆腐さと嗤《わら》う。わらわれても為方がない。此程しゃべって見れば、無恥厚顔至極、世間を知らぬ人間だった、という自覚が起らずには居ぬ。まことに、此座談は、私にとって酢豆腐である。
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底本:「昭和文学全集第4巻」小学館
   1989(平成元)年4月1日初版第1刷発行
   1994(平成5)年9月10日初版第2刷発行
※「歌舞伎」と「歌舞妓」の混在は底本通りにしました。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年4月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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