われぬ激賞ぶりで、而も娘役を本役として認めていることは注目さるべきであろう。
今の歌舞妓の本流は竹本劇、つまり浄瑠璃劇にある。これが本道に出来なければ、歌舞妓役者としては本格でないと言われねばなるまい。源之助はその若い時にはこのように本格の竹本劇が出来たのに、次第にそれから遠ざかって生世話物《きぜわもの》に移って行ったのである。役者として己を鍛錬するための本道から遠ざかったことは、源之助一代の痛恨事であったと思う。
歌舞妓芝居もこの頃では、「古典劇」などと書かれているのを見受けるが、どうもぴったり来ない感じで、今の若い人々には歌舞妓芝居のようなものも古典劇に見えるのかも知れないが、歌舞妓芝居を人生ほど見続けて来てもやはり、どうしても歌舞妓芝居が、げす[#「げす」に傍点]な猥雑《わいざつ》な感じがしてならないのである。本道の歌舞妓芝居がどれ程までに古典化されたかはまだ疑問だと思うのである。
四
次に源之助のもっている先輩について、まあ模倣原型論といったようなことを考えてみたい。
源之助の先輩は、女形の先輩も、立役の先輩も彼にとって有難いものではなかったと思う。例の花井お梅の事件で、明治二十年から五年くらい大阪に逃げて行っていた間に覚えた芸が、一番本格的なものであった。例えば「夏祭浪花鑑」の徳兵衛の女房おたつの如きは本格的であった。東京で彼が最、影響を受けたのは、田之助・菊五郎の芸だが、彼の直の先輩としてはこの田之助くらいしかなかった。田之助は同じ沢村家の先輩でもあり、当時最評判の高い女形でもあった。だから源之助が田之助を学ぶのは、極めて当然なことで、その前の岩井半四郎と田之助の娼婦《しょうふ》式な役柄の方面が、彼に力強く保たれたのである。
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毒婦が認められるようになったのも半四郎からで、「三人吉三」のお嬢吉三のようなものは、もともと半四郎のために書いたもので、後に菊五郎のものとして盛んに上演された弁天小僧などと同様、半男女物と言うべきだが、まあ傾向から謂えば、悪婆物である。
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これらの半四郎、殊に田之助のしたことを、源之助がいくつもしている。田之助は何も毒婦・悪婆ばかりした訣ではなかったが、その毒婦型・悪婆型が世人に残した強い印象というものが、田之助の死後までも世人は繰り返させようとしたのであって、源之助がそれを
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