茂吉への返事
折口信夫
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)直《ナホ》く
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)上|衆《ズ》にする
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)のたうち※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]る
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)われ/\
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わたしはこゝで、駁論を書くのが、本意ではありません。そんなことをしては、忙しい中から、意見して下された、あなたの好意を無にすることに當りませう。其に第一、お申し聞けの箇條は、大體に於て、わたしの意表外に出たことではありませんでしたから。といふと、何だかあなたの語を輕しめる樣な、高ぶつた語氣を含んでゐる樣に、聞えるかも知れませんが、實の處、あなたのみならず同人の方々の、あゝいふ傾向の抗議のあることは、漠然と豫期しながら、あの百首の發表をしたのですから、あわたゞしく辯解しようとも思ひません。たゞ、世間にはわれ/\朋黨の意味をば取り違へて、個性を沒却した政治的の意味に、誤解してゐる人々も、ちよい/\見受けられます。それは「文藝上の朋黨」といふ小論文を書いたわたしにも、大分責任がある樣です。それで、御來旨に對して、わたし自身の生活に根ざした態度や、主張を明らかにして置くのに、却つて、都合のよい機會だ、と思つたのです。
最初にお願ひしたいのは、わたしはまだ生長の途中に在るのですから、ひと[#「ひと」に傍点]の思はくに氣をかねるなどいふ、餘裕が出來てゐない、といふことを考へに置いて頂くことです。
同人の末に連つてゐる行きがゝり上、從順な會員に、濁りを帶びた歌を見せて、趨舍に當惑させるのは、或は單純に考へれば、罪惡ともいふべきものでせう。又既成概念を以て、アララギ派の歌風を見てゐる世間に對して、風變りな歌を見せるといふことは、アララギの歴史上、かなり迷惑なことであるのは、わたしも考へないではありません。唯前にいうた、生長の途中に在るわたしとしては、甚利己的にとられ相な言ひ分ですが、會員を上|衆《ズ》にする前に、先わたしから上衆にならねばならぬ、と思ひます。或は先達諸家の迷惑に思はれることかも知れませんが、アララギ派の既成概念に反した態度になるのも、止むを得ぬことだと思ひます。だから、會員や世間を目安として、歌を作ることは、今のわたしには、到底能はぬことなのです。同人諸兄は事實、わたしよりは、數段も上にある人ばかりで、後進の身としては、勉強の急を感じない訣には參りません。いつか中村さんからの私信に「君の歌は毎號變つていつてる」とありましたのを讀んだ時、非常に有り難く思ひました。わたしは上衆にならない前に、まづ固定するのを恐れます。自分にも變り目の甚しいのが訣つてゐるのです。時々固定した日を考へて見ると、寂しくて堪へられなくなつて來ます。
だからというて、變化の途々にある毎月の歌を、試作だとか、未定稿などゝいふ囘避は、決していたしません。何時、誰から、如何なる批評を受けても、喜んで耳を傾けるだけの覺悟は持つて居ます。
同人諸兄、殊に、あなたと赤彦さんが、左千夫先生と議論を繰り返された歴史が、復あなたと私との上に循つて來たのだ、といふ氣がします。あの頃、服部躬治先生の處へ通ふことをやめてゐた私が、子規庵の歌會で二囘迄、左千夫先生と、若い元氣であつたあなたとの議論を、傾聽しました。勿論其爭ひが、今再びせられるのだといへば、或は不遜に聞えるかも知れません。此から暫らく、書き連ねる問題は、わたしとあなたとの質に於ける相違を申したい、と思ふのです。くどい樣ではあるが、この點の考察を怠つては、總ての議論は空になります。
あなた方は力の藝術家として、田舍に育たれた事が非常な祝福だ、といはねばなりません。この點に於てはわたしは非常に不幸です。輕く脆く動き易い都人は、第一歩に於て既に呪はれてゐるのです。わたしどもと同じ仲間に引いて來るのは、無禮なことでありますが、或點に於て、岡さんも呪はれた一人といふことが出來ます。都會人が藝術の堂に至るのと、金持ちの天國に生れるのとは、或は同じ程な難事であるかも知れません。
併し、此邊の苦勞は、もとより覺悟の上でかゝつてゐるのです。田舍人の見る處と、都會人の見る處とは、自ら違うたものがあるので、難道と易道、といへば、語弊がありませう。たゞ、境遇の善惡は確かに見る事が出來ます。田舍人が肥沃な土の上に落ちた種子とすれば、都會人はそれが石原に蒔かれたも同然です。殊に古今以後の歌が、純都會風になつたのに對して、萬葉は家持期のものですらも、確かに、野の聲らしい叫びを持つてゐます。その萬
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