した態度になるのも、止むを得ぬことだと思ひます。だから、會員や世間を目安として、歌を作ることは、今のわたしには、到底能はぬことなのです。同人諸兄は事實、わたしよりは、數段も上にある人ばかりで、後進の身としては、勉強の急を感じない訣には參りません。いつか中村さんからの私信に「君の歌は毎號變つていつてる」とありましたのを讀んだ時、非常に有り難く思ひました。わたしは上衆にならない前に、まづ固定するのを恐れます。自分にも變り目の甚しいのが訣つてゐるのです。時々固定した日を考へて見ると、寂しくて堪へられなくなつて來ます。
だからというて、變化の途々にある毎月の歌を、試作だとか、未定稿などゝいふ囘避は、決していたしません。何時、誰から、如何なる批評を受けても、喜んで耳を傾けるだけの覺悟は持つて居ます。
同人諸兄、殊に、あなたと赤彦さんが、左千夫先生と議論を繰り返された歴史が、復あなたと私との上に循つて來たのだ、といふ氣がします。あの頃、服部躬治先生の處へ通ふことをやめてゐた私が、子規庵の歌會で二囘迄、左千夫先生と、若い元氣であつたあなたとの議論を、傾聽しました。勿論其爭ひが、今再びせられるのだといへば、或は不遜に聞えるかも知れません。此から暫らく、書き連ねる問題は、わたしとあなたとの質に於ける相違を申したい、と思ふのです。くどい樣ではあるが、この點の考察を怠つては、總ての議論は空になります。
あなた方は力の藝術家として、田舍に育たれた事が非常な祝福だ、といはねばなりません。この點に於てはわたしは非常に不幸です。輕く脆く動き易い都人は、第一歩に於て既に呪はれてゐるのです。わたしどもと同じ仲間に引いて來るのは、無禮なことでありますが、或點に於て、岡さんも呪はれた一人といふことが出來ます。都會人が藝術の堂に至るのと、金持ちの天國に生れるのとは、或は同じ程な難事であるかも知れません。
併し、此邊の苦勞は、もとより覺悟の上でかゝつてゐるのです。田舍人の見る處と、都會人の見る處とは、自ら違うたものがあるので、難道と易道、といへば、語弊がありませう。たゞ、境遇の善惡は確かに見る事が出來ます。田舍人が肥沃な土の上に落ちた種子とすれば、都會人はそれが石原に蒔かれたも同然です。殊に古今以後の歌が、純都會風になつたのに對して、萬葉は家持期のものですらも、確かに、野の聲らしい叫びを持つてゐます。その萬
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