など言ふ字を宛てるのが、まづ普通の様だが、「通」は男に通婚せぬ義か、精通期に達せぬ事を示すのか、判断し難いと思ふ。をとこ[#「をとこ」に傍線]もわくこ[#「わくこ」に傍線]期を脱したものらしいが、をとめ[#「をとめ」に傍線]よりは社会人らしく扱うてゐるらしい。だが、此も一般的には誤解である。
wot は、復活する・元に戻るの義で、常に交替して神事に奉仕する男子・女子が、wot−ko, wot−me なのであつた。
[#ここから2字下げ]
藤原の大宮づかへ 現《ア》れ続《ツ》がむ をとめが伴《トモ》は、ともしきろかも(巻一)
[#ここで字下げ終わり]
の歌を見ても、宮中の巫女の交る替る現出して大宮仕へをする信仰が窺へる。
此をとめ[#「をとめ」に傍線]になり替る事は、ある年限があつたのである。此神役の資格を得て、はじめてをとめ[#「をとめ」に傍線]である。此までには、成女戒を授かるのが条件である。
成女戒を受けたをとめ[#「をとめ」に傍線]は、実に神の嫁となる資格が出来たのである。其に到るまでの生活が虔《ツヽ》しまれた。男とても、之を犯す事は触穢《ソクヱ》として避けねばならなかつた。此期に達した少女たちは、恐らく木綿花《ユフハナ》或は、鳥毛を以て飾つた鉢巻をしたらしい。此が、はねかづら[#「はねかづら」に傍線]である。
[#ここから2字下げ]
はねかづら 今する妹を、うら若み、いざ、率《イザ》川の音のさやけさ(巻七)
はねかづら 今する妹をうらわかみ、笑みゝ、怒りみ、つけしひも解く(巻十一)
はねかづら 今する妹を、夢に見て、心のうちに恋ひわたるかも(家持――巻四)
はねかづら 今する妹はなかりしを。いかなる妹ぞ、こゝだ恋ひたる(童女――巻四)
[#ここで字下げ終わり]
詳細な説明は、今はさけたい。「はねかづらいまする」と言ふ類型の行はれた中の万葉に残つたものである。はねかづら[#「はねかづら」に傍線]と言ふだけで、村の神事の資格を得る成女戒を待つ少女と言ふ事が、知れてゐたのである。男の成年戒にも、後期王朝に、黒※[#「巾+責」、第3水準1−84−11]《コクサク》をつける風を残したのは、形から見てはねかづら[#「はねかづら」に傍線]である。
かうした持戒の間の禁欲生活の後、をとこ[#「をとこ」に傍線]となり、をとめ[#「をとめ」に傍線]となる。
唯をとこ[#「をとこ」に傍線]は、性の解放を祭りの当夜から許されるが、をとめ[#「をとめ」に傍線]は、神の外には逢ふ事が出来ぬ為、をとめ[#「をとめ」に傍線]と言へば、夫を持たぬ女、処女・未通女と考へられる様になつたのだ。
斎宮をはじめ、中皇命は、神のをとめ[#「をとめ」に傍線]として、人間のせの君[#「せの君」に傍点]はなかつた。祭時に神として現れる霊物のみが、其つま[#「つま」に傍点]であられた。かうした信仰が、国邑の巫女から家々の巫女の上にも及んで、上も下も一つのをとめ[#「をとめ」に傍線]の生活を形づくつたのだ。

       大臣・庶民

をとこ[#「をとこ」に傍線]となる事は、貴公子の間には、容易ではなかつた。だから、いつまでもをぐな[#「をぐな」に傍線]――おきな[#「おきな」に傍線]に対した語――又は、わくご[#「わくご」に傍線]と称せられてゐた。君とならねば、完全な資格が出来ない。君の家に於ては、みこ[#「みこ」に傍線]・おほきみ[#「おほきみ」に傍線]が、近代まで一つの人格と認められなかつた歴史因子を見せてゐる。後次第に、ひつぎのみこ[#「ひつぎのみこ」に傍線]・皇子の尊[#「皇子の尊」に傍線]など言ふ名で、半成人の資格を認めて来る様になつた。でも、其すら前代の中皇命の皇子のみこともち[#「みこともち」に傍線]に過ぎなかつた。万葉以前に見える、をぐな[#「をぐな」に傍線]名・わくご[#「わくご」に傍線]名或は、わけ[#「わけ」に傍線]――別――など言ふのは、此である。即宮廷・豪家の子弟の中には八拳鬚胸前《ヤツカヒゲムナサキ》に到るまでも、ほむちわけ[#「ほむちわけ」に傍線]・ほむたわけ[#「ほむたわけ」に傍線]・やまとをぐな[#「やまとをぐな」に傍線](記紀)又は、久米の若子(万葉)など言はれてゐねばならなかつた。此等が記念すべき事蹟や、宮廷・豪族の歴史の上に衝動を起す事件を齎すと、各部の村民や、団体を以て、其名の伝へられるやうになる。小氏(複姓)の分裂も、実はかうした神事職によつて、聖格を得ようとした為である。
後期王朝では、上流の公卿を上達部《カムダチメ》といふ。此は、疑ひもなく宮廷を神社と見做し、伴曲長《トモノヲ》及び臣《オミ》のつめる処を、かむだち[#「かむだち」に傍線]と称へたからだ。伊勢神宮で、※[#「广+寺」、394−10]の字を宛て、他の社々でも、神館《カウダチ》と称してゐる。神の為の台盤所の義である。古代には、其人たちの侍する内廷の控へ所であつたのだらう。「め」は元より「べ」に通ずる集団人の義である。此中から、君の座床近く、夜昼祗候するものが、まちぎみ[#「まちぎみ」に傍線]・まへつぎみ[#「まへつぎみ」に傍線]である。まへつぎみ[#「まへつぎみ」に傍線]の中にも、旧豪族の人々の交る様になつてから、此を大まへつぎみ[#「大まへつぎみ」に傍線]と言ふ様になつた。おみ[#「おみ」に傍線]は、君から多少遠慮を持つた臣・従者への称へであり、大まへつ君[#「大まへつ君」に傍線]は、全然君の配下としての称である。
此等のおみ[#「おみ」に傍線]の家々又は、国々の神主国造の家々には、宮廷と似た伝承が行はれてゐた。さうして其小氏なる家々にも、配下たる村々の民の上にも、次第に宮廷の信仰生活が影響し、又混同を生じた。或地方では、禊ぎを主とするのに、ある国々では祓へを以ておなじ様な事件を解決した。其混乱は、吉事を待つ為の禊ぎを、凶事を贖《あがな》ひ棄てる方便の祓へと一つにして行ふ様になる。
祓へを行ふ地方で行《おこなは》れた、五月雨期の男女神人の禁欲生活が、雨障《アマツヽミ》又は、霖忌《ナガメイミ》であつた。其を、合理化したのが、大祓式であつた。村のをとこ[#「をとこ」に傍線]となるはずの――成年戒を受ける――人々の、田植以前の物忌みが、其であつた。其を、次第に向上させて、宮廷伝来の呪詞から出来たものと信じた。
天《アマ》つ罪《ツミ》は、田植ゑに臨む、村の仮装神人及び巫女――早処女《サヲトメ》――の、長期の物忌み生活から出た起原説明物語であつた。此等は、民人――殊に出雲人など――の生活の反映である。すさのをの[#「すさのをの」に傍線]命は田を荒す神であつた。さうして其が、祓への結果田を荒さぬ誓ひを立てた事を、出雲国造の国で行うたのである。其旧事が直に、地上の呪法となるのだ。村の田に出て来る神々の行ひは、だから、豪族の風を移した村々の神人の歌舞《アソビ》である。此時、此に接する巫女たちの挙動も亦、其写しに過ぎない。
私の話は、万葉集の内容の発生の輪廓と、万葉びとの生活の基礎となつた信仰生活とを完全に書きゝらずに了うた。だが、此論文に、若し多少の効果を予期する事が出来るなら、過去の研究は、過去の記述ばかりでは、完う出来ない。近代までの引き続きを、常に考慮に入れて置かねばならぬといふ自覚を抱いて頂いた点にあると思ふ。



底本:「折口信夫全集 1」中央公論社
   1995(平成7)年2月10日初版発行
底本の親本:「『古代研究』第二部 国文学篇」大岡山書店
   1929(昭和4)年4月25日発行
初出:「日本文学講座 第一九巻」
   1928(昭和3)年9月
※底本の題名の下に書かれている「昭和三年九月「日本文学講座」第一九巻」はファイル末の「初出」欄に移しました。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年9月6日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全7ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング