新撰万葉・古今集・古今六帖などの無名の作、又は平安の物語・日記によくある、出処不明の引き歌は、大抵其当時々々に喧伝せられた、即興歌なのであらう。
平安の宮廷では、日常神事に与る者ほど、地位低くなつた。采女は下級の女官となり、奈良朝までの采女は、女房として高く位づけられた。けれども巫女であつた姿は留めて居た。宮廷貴族内庭の私的な事務に与り、主公に直接なる補助役・弁理者となり、訓化者となつた為である。かうした為事は、万葉時代にはまだ、巫女としての宮女の勤めであつた。女房の日記が、旧事・歌物語の外に、私事を多く交へる様になつて、段々、女房文学が栄えたのである。自作をも書きとめるやうになつたものを、後人――或は後には当時の人も――が歌だけを抄出したのが、女房家集である。其他、物語を抜き、人物事件や年中臨時の行事に関するものを書き出したのもあつて、物語・日記・有職書などが現れる様になつた。皆女房日記の内容であつたものだ。
かうした家集の中には、誇張や、衒ひや、記憶違ひなどもあるはずである。其に第一、対人関係は、後人の発想法とは異なるものが多い。万葉以前からの「女歌」の論理を考へないでは、男女関係
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