る男の歌に対《こた》へたものである。此とて果して、作者自身の物か、保護者又は後見婦人の歌か知れないのが多い。家持に与へた叔母大伴[#(ノ)]阪上[#(ノ)]郎女の歌には、女大嬢の心持ちになつて作つたものが多いのであらう。又、大嬢の家持に答へた歌と言ふのも、郎女の代作と考へられぬではない。
とにかく、唯の相聞態度では、男の心に添はない事を意識した作も、後ほど出て来て居る。
でも、中臣宅守・茅上郎女の歌などは、恐らく、其近代の情史的創作であらうと述べたとほり、こひ[#「こひ」に傍線]歌《ウタ》らしくないものである。真の意味の恋歌《コヒカ》は万葉末期に出て来たと言うてよからう。前代の物で、こひ歌[#「こひ歌」に傍線]らしく見えるものは、大抵魂ごひの歌或は、旅中鎮魂の作だつたのである。
女歌は恋愛発想による外、方法はなかつたのである。巫女としての久しい任務が、かう言ふ変態な表現上の論理を形づくらせたのであつた。
短歌様式は、殊に「女歌」に於て、発達したものと見る事は正しいと思ふ。宮廷生活においては、女歌のもて囃される機会が多かつた。一つは踏歌宴遊に、一つは風俗歌会――歌会の原形――などに、男方
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