であらうが、飛鳥朝から、次第に其回数を増し、宴遊を以て宮廷の文化行事の一つと考へる様になつて、宴遊・行幸・賀筵が行はれた。
直会には、主上及び家長の寿の讃美を、矚目の風物に寄せて陳べる類型的な歌を生み出す。茲に、四季の譬喩歌が出来るのである。其が次第に、唯朗らかであれば、事足ると言ふ祝言の気分から、叙景詩に近く変じて行つた。宴座のうたげ[#「うたげ」に傍線]になると、さうした正述心緒・寄物陳思の方法が、恣《ほしいまま》に表現せられて来る。かうして四季相聞は出来る。
巻十は、かうした謡ひ棄てられた宴歌の類聚であつて、更に他の機会の応用に役立てようとしたのであらう。巻八の方は、其が宮廷並びに豪家の穏座・宴座の間に発せられた、当時著名なものゝ記録で、大伴家持の手記を経たものらしい。
此等の歌は、表面にこそ、祝福の意の見えないのもある。併し元来、主上・家長の健康と、宮室の不退転を呪する用途を持つてゐるものであつた。恰《あたか》も踏歌の章曲が次第に、後世断篇化して朗詠となつて、祝賀の文を失うても、尚さうした本義は失はなかつた様に、四季雑歌・相聞は、千秋万歳の目的で謡はれたのだ。
其最古い形は、上
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