は、ふり[#「ふり」に傍線]よりもうた[#「うた」に傍線]が尊いとの考へからである。他民族出の詞章で、殊に近代に大歌に編入せられたものをのみ、ふり[#「ふり」に傍線]と言ふ様だ。
うた[#「うた」に傍線]を語根にした動詞のうたふ[#「うたふ」に傍線]が、古く分化して、所謂四段のものと、下二段活用のものとになつてゐる。前者は、うた[#「うた」に傍線]を対象としての動作即謡ふである。後者は訴ふの原形となつた。此は謡ふに対する役相であるが、神事を課せられる者には、公式に臨む臣民の動作として、能相風に考へられてゐる。祓《ハラ》ふる・卜《ウラ》ふるの例である。謡ふ事によつて、神又は神人の処置判決を待つ式である。
元来うた[#「うた」に傍線]は、奏上式のふり[#「ふり」に傍線]に対するもので、宣下するものであつた。神の叙事詩の抒情部分を言ふもので、呪詞におけること[#「こと」に傍線]――ことわざ[#「ことわざ」に傍線]――の発達したものである。こと[#「こと」に傍線]の端的で直接なのに対して、うた[#「うた」に傍線]は、幾分婉曲に暗示の効果に富むものらしい。神及び神人の宣るのりと[#「のりと」に傍線]を和らげたもので、儀式で言へば、直会の時の詞である。此を口誦するのは、神の資格に於てするのであつた。此が歌垣の庭の中心行事となつた。相聞唱和の風が盛んになるのも、うた[#「うた」に傍線]にはふり[#「ふり」に傍線]が酬いられねばならなかつたからである。
歌に対するふり[#「ふり」に傍線]の和せられる式の逆になつたのが、うたへ[#「うたへ」に傍線]で、神に問ひかける形をとるのだ。巫女から神に、女から男に、臣から君へまづ言ひかけてゐるのは、多く此部類に入る。出雲振根の「たまもしづし」の歌・三重采女・仁徳記の「つゝきの宮」の歌・赤猪子《アカヰコ》の歌など、うたへ[#「うたへ」に傍線]である。「よごとにも一詞《ヒトコト》、あしきことにも一詞、ことさかの神」と名のつた一言主神のあるのを見れば、のりわけ[#「のりわけ」に傍線]の詞は短かつたものであらう。
五 相聞
二人でかけあはせた本末の片哥を続けて、一体の歌と考へられると、旋頭歌の形式はなりたつ。だから、又、旋頭歌を唱和した様な形式さへ出来てゐた。又、旋頭歌として独立したものでも、自問自答の形をとつてゐるのが普通である。片哥の
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