と定めたい考へが、既に古くからあつた筈だから、旁《かたは》らかうした解釈がついたものと思はれる。仮名序に照して見ると、十代以前といふのは合はなくなる。其上、百年余の余は、略《ほぼ》、五十年を意味してゐることになる。畢竟《ひつきやう》、粗漏な穿鑿に予断の感情を交へた臆断、と今までの証拠だけでは、定める外はない。
ふりかへつて、平城説が成り立つかどうかを見よう。古今の漢文序には、大同天子の代に出来たとしてゐる。此序の価値を疑ふ人もあるが、其は主として、仮名序の直訳以外に、此類の違つた記事を交へてゐることに、疑ひを挟む処から出てゐるらしい。此漢文序が疑ふべくば、仮名序も疑はなければならない。殊に考へねばならぬのは、今日の印刷せられた書物のやうに、発行年月が定まらず、幾らでも増補訂正が出来たものの写本時代には、譬《たと》ひそれが、勅撰の書であつても、編纂後数回の増訂は、自由であつたはずである。現に、漢文序を信じれば、古今集の前に続万葉集といふものが、出来てゐたのである。数年の後其に、訂正を加へたのが、古今となつたのだとある。
さういふ風にして出来た古今の仮名序が、撰修上奏の際に、書かれたまゝと
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