時代の大歌所のした試みを其後再びしたものなる事を示して居る。
併し、古今の東歌が、悉《ことごと》くは東人の製作と思はれぬ様に、本集の東歌も程度の差こそあれ、必しも皆が皆まで、東人の作物でなく、一時の旅行者の即興や、単なる誤解から、他国の物を混へたと見えるものも、段々ある。併し、其々の歌が証拠立てる如く、あづま[#「あづま」に傍線]根生ひの歌が、言ふまでもなく大部分を占めて居る。
東歌は、創作として個性に深く根ざしたものと言ふよりも、民謡として普遍的な感情をとり扱うたものが多い。個性の強く現れて居る様に見えるものも、実は、一般式の感動に特殊の魅力を添へる為の刺戟を強調したと言ふべきものが多い。更に民謡の一の特色として、地名をよみこんだものゝ多い事である。地名に注意を惹かれるのは、他国人でなければならぬ。東歌に地名の多いのは、偶《たまたま》東歌が真の東歌でない事を証して居る、と云ふ人もある。併し、其は民謡と地名との関係に理会がないから出た議論である。民謡なればこそ地名を詠みこんで、土地に即した印象を与へようとするのである。
民謡は流行性を持つて居るから、各地に転々して謡はれる。さうして、地名だけが自由に取り外されて、行つた先々の人の口に上るのである。だから、民謡に地名を含んで居る事が、其地の根生ひでないまでも、必一度は其地に行はれて、其行はれた地方で採集せられた事を示すのである。其上、単語・語法なども其地々々の言語情調に適合する様に部分々々に手入れせられる。だから誤解から、部分け違へをした少数のもの以外は、あづま[#「あづま」に傍線]根生ひのものと言うてもさし支へのない程、其思想・其形式に於て、東人の生活に密接な関係を持つて居ると言はなければならぬ。



底本:「折口信夫全集 1」中央公論社
   1995(平成7)年2月10日初版発行
底本の親本:「『古代研究』第二部 国文学篇」大岡山書店
   1929(昭和4)年4月25日発行
初出:「皇国 第二七九号」
   1922(大正11)年2月
※底本の題名の下に書かれている「大正十一年二月「皇国」第二七九号」はファイル末の「初出」欄に移しました。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年9月6日作成
青空文庫作成ファイル:
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