麻呂以前にも、我々の推測の及ばない幾多の宮廷詩人が居て、新作の大歌を作つたものと信ぜられる。人麻呂の作にも作者知らずとして伝つて居る物が多い筈である。宮廷詩人の作の、無名又嘱託者の名で伝つた時代と、作者の名の明らかになつて来た時代とがある。此二つの時代を跨げたのが人麻呂である。
人麻呂後期と、其以後の宮廷詩人の作物は、作者が次第に明らかになると共に、個性も段々明らかになり、芸術動機から出発した作物も見えて来る。宮廷詩人が必しも大歌ばかりは作つて居なくなるのである。
一面に於て、支那詩文の模倣が、段々模倣を離れて自我意識を出し、倭歌に影響する所から、芸術風な創作気分が次第に濃厚になつて来る。人麻呂も既に、其|俤《おもかげ》を見せて居るが、奈良朝に入ると、愈《いよいよ》著しく現れ出して、旅人・憶良の時代になると、とにもかくにも純然たる芸術動機から創作を試みる様になつた。
其が家持になると奈良朝も終りで、倭歌の上に固定が目に立つて来る。併し同時に経済状態の逼迫や、辺境の騒擾などから惹き出された落ちつきのない、安んじ難い時代になる。歌人の作物にも、其をさながら投影せざるはなかつた。家持等の歌が、固定・模倣に堕して居る一方に、感傷風の気分に充ちた、弱いながら個性の明らかに出た作物が頭を擡げて来て居る。此様に万葉集の中で、大体五つの時代を、私は考へて居る。即、大歌の三期と、創作時代に入つての二期と、それ/″\、時代々々の特徴が見えるのであるが、尚、大歌の前に据ゑねばならぬひと区ぎりの時期が想像せられる。其は、東歌が示して居る一つの姿である。

     五 東歌

万葉集巻十四全部と、巻二十の半分とは、東歌として、他の巻々の歌とは、区別が立つて居る。かうした部類の立てられたのは、当時の採風熱からである。
まづ巻十四の方から言ふと、此は恐らく大歌所の為に採集せられたものと思はれる。雅楽寮の官人には帰化人が多かつた。其祖先以来の伝統は、段々日本音楽部なる大歌所の人々の歌をも支配する様になつた。為政者が書物から得た知識として、国風に正雅な声があると言ふ理想を持つたと同時に、楽人たちは、信仰として、国風・竹枝に、多く宮廷楽に登用する値打ちのあるものがあると考へて居た。詩経の成り立ちを其儘学んで、大歌に採用の出来る小歌を採集する事が試みられかけた。此は、屡《しばしば》繰り返された事で、後の神楽・催馬楽・風俗・東遊、或は、古今集の大歌所の歌、梁塵秘抄の一部、ずつと降つて、後奈良院御撰を伝へる山家鳥虫歌の類に到るまで、大なり小なり、此目的を含んで居ないものはない。此為に当時の人々にとりわけ異郷風な感じを持たれたあづまの国[#「あづまの国」に傍線]に絡んだ歌ばかりで、一巻を拵へることになつたのである。
処が、天平勝宝七年になつて、新しい東歌とも言ふべきものが蒐集せられた。此は恐らく当時兵部少輔であつた大伴家持の委託で、諸国の防人部領使が上申したと思はれる防人の歌である。此新東歌の如きは、万葉一部の年月順からすれば、極めて新しく出来たものである。巻十四の東歌でも出来た時代から言へば、他の大歌所の歌と比べて、古いものとは言はれまい。大歌の中に強ひて容れゝば人麻呂後期より遅れて居るものとせなければなるまい。然るに其思想・其形式を標準として見れば、年代順をふり替へて、大歌の第一期に据ゑねばならぬ程、古風のものである。
東歌には、語法・単語の上に、当時の都の言語の一時代前の俤を止めて居る。尠くとも真の万葉集らしく見えて来る藤原宮時代のものよりは、古い形である。のみならず、其語法・言語で表現せられた東人の生活意識は、此亦一時代前の文化・思想を示して居、他の十九巻の歌と比べると、確かに直情風で素朴な発想を、張りつめた情熱を以て謡うて居る。其故、芸術の順序からして、此に宮廷詩よりも前の位置を与へる事になる。
あづま[#「あづま」に傍線]なる地名の内容となつて居る地域は、時代々々で違うて居る。実際の境界は、日本武尊の伝説に拘泥する事なく、変遷を重ねて来た。本集には、西は、足柄山を越えて遠江までも延び、東北は、奥州の果迄を籠めて居る。蝦夷の勢力の消長につれて、あづま[#「あづま」に傍線]の内容が伸びも縮みもした事であらう。あづま[#「あづま」に傍線]とは、畢竟「熟蝦夷生蝦夷《ニギエゾアラエゾ》の国」を意味して居たのである。尤、彼等の外にも、都人・屯田の民・帰化外人などは住んで居たのである。官吏・旅行者などが、土地・人事に絡んだ珍しい話の種を都に持つて帰つては、都人をして、愈異郷風な想像を逞しうさせる。かうした見方の下に在つた国であつて見れば、採風の試みをすれば、第一にあづま[#「あづま」に傍線]が考へに浮んだ事であらう。古今集の大歌所の歌に、東歌が多く登録せられたのも、万葉
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