副詞表情の発生
折口信夫

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)零雪乃消者消香二恋云《フルユキノケナバケヌカニコフトフ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)露霜之|消者消倍久《ケナバケヌベク》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#ローマ数字1、1−13−21]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)幾度でも/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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     一
       ――けなばけぬかに

[#ここから2字下げ]
道に逢ひてゑますがからに、零雪乃消者消香二恋云《フルユキノケナバケヌカニコフトフ》わぎも(万葉巻四)
……まつろはず立ち対ひしも、露霜之|消者消倍久《ケナバケヌベク》、ゆく鳥のあらそふはしに、(同巻二)
[#ここから4字下げ]
一云ふ、朝露之消者消言(香[#「香」に白丸傍点]かと云ふ)爾うつそみとあらそふはしに
[#ここで字下げ終わり]
私は、今の場合、「けなばけぬかに」を主題としようとするのではない。だが、一つの前提として、此から解説して置かねばならぬ気がする。此は、霜・雪を以て序歌としてゐる。露を以てするものも、あつたのである。言ふまでもないが、万葉集にある例は、極めて倖にして残つたものであつて、この外に幾万倍の実際作例があつたに違ひない。所謂「文法」において扱ふ所の、除外例なるものが、当時に却て通例だつたかも知れない。譬へば、「けなばけぬかに」などにおいて、殊にそんな心構へを持たねばならぬといふ心持ちがするのである。其と今一つは、此「かに」系統の発想法は、散文には見出し難い事ではなかつたかと言ふ事である。律語が文章の主要形式であつた時代だから、未完成であつた散文体に、此一類の類型を持ち込むまでには、まだ到つて居なかつたのかも知れない。
[#ここから2字下げ]
わが宿の夕影草の「白露之|消蟹《ケヌカニ》」もとな思ほゆるかも(万葉巻四)
秋づけば、尾花が上に「置露乃応消毛《オクツユノケヌベクモ》」吾は思ほゆるかも(同巻八)
……心はよりて「朝露|之消者可消《ノケナバケヌベク》」恋ふらくも 著《シル》くもあへる隠りづまかも(同巻十三)
[#ここで字下げ終わり]
「べく」の例ではあるが、大体において同型であることは、言ふを俟たない。その上に言つてよい事は、全体として、「かに」よりは、「べく」の方が、近代的な感触を持たせた発想法であり、文法でもあつたと言ふ点である。それが更に、端的に「けぬべく」を固定して行つたらしいものに多く見ることが出来る。
「べく」を以てした万葉に現存する例では、「露」と「雪」とが、数を争ふ程、人気のあつた事を示してゐる。さうして、我々が最妥当性を感じる霜においては、却て尠くなつて来て居る。だが、当時実際の歌謡界において、さうであつたと言ふ訣には行かないと考へる。
「失す」「過ぐ」或は「立つ」などを起すのが慣用である所の、霧に用ゐられたものすらある。
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思ひ出づる時は すべなみ、佐保山に「立雨霧乃応消《タツアマギリノケヌベク》」思ほゆ(同巻十二)
[#ここで字下げ終わり]
此は、類型の一転であらう。
かう言ふ風に、天象の中、降りながらふ物に自由に移つて行くのは、慣用と頓才的飛躍がさうさせるのである。枕詞の内包が性質を換へて行くのと、同じ行き方に過ぎない。
これほど、「消ゆ」と言ふ、銷沈、煩悶或は悶死を意味する語と関係深く、又其と聯結する事によつて、一つの慣用句を形づくるのに満足した所の、古代人の心を考へる必要がある。
だが天象と、「けぬかに」「けぬべく」との間の交渉を言ひ続けてゐることから、幾分の喰み出しが出来るやうになつて来た。
譬へばまづ、「露」と「消ぬ」との関係から見ても訣る。この相互の交渉を忘れると、
[#ここから2字下げ]
秋づけば、「水草《ミクサノ》――尾花の類――花乃阿要奴蟹《ハナノアエヌカニ》」思へど、知らじ。直《タヾ》に逢はざれば(同巻十)
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ]………………※[#ローマ数字1、1−13−21]
[#ここから2字下げ]
……百枝さし生ふる橘 珠に貫く五月を近み、「安要奴我爾《アエヌカニ》」花咲きにけり(同巻八)
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ]………………※[#ローマ数字2、1−13−22]
露の「あゆ」と言ふ方面を受けて行き、其が更にさうした出発点をふり落してしまふと、第一例になり、又後には、単に形式としての「あえぬかに」だけが用ゐられる様になる。此例などは、世間では必此感情論理の展開を認めないであらう
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