としてくり返されて、遂に「えに」だけでその代表をするほど、気分化して了つてゐたのである。
即、茲に見られるのは、「けなばけぬかに」の一類が、遊離した「けぬかに」「けぬべく」を作る様に、「えに」が固定して、尚「言ひえに」に近い気分を、人に与へることが出来たのである。
此はちようど、「かてに」と言ふ語にも、同様な例が考へられる。「ひろへばかてにくだけつゝ」と言ふのは、普通「拾ふとすればその傍から、砕け/\して行く」と言ふ風に説いてゐる。だが、此も単なる同音聯想で、さう古くからも、聞えたゞけであらう。拾はむとすれば「拾ひ不敢《カテニ》」の形が、一つの「拾ひ」をふり落したのであらう。
おなじ事は、「え―う」「かて―かつ」などゝ同義語なる「あへ―あふ」にも見られる。
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……延《ハ》ふつたの別れにしより……ゆくら/\に、おもかげに もとな 見えつゝ、かく恋ひば、老いづく我が身 けだし安倍牟《アヘム》かも(万葉巻十九)
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老いづくわが身にして、恋ひあへむや。恋ひあへずして……なりゆかむと言ふ意である。唯、身が持ちこたへようかとの意ではないのだ。「もとな」なども、此から説明するのが最正しいが、此は亦問題が大きいから、別の機会にする。かういふ風に、動詞でありながら次第に助動詞らしい職分を分岐して来る。その過程として、其と熟語を形づくつた語の脱落することが見られる。さうして更に一種の副詞の形に移つて行く。
この例で見ると、「老いづく身にして、かく恋ひば恋ひあへじ」の義であるから、「かく恋ひば」と言ふ過程は、前例と同じく、実際の内容として、既に意義を十分出してゐると共に、之を内容からとり去つても訣るのである。つまりは、前代遺存の形式の後代合理化から、「……俤にもとな見えつゝ」など言ふ、「かく[#「かく」に白丸傍点]恋ひば」の説明がついて来る訣である。
「かく恋ひば、恋ひ[#「恋ひ」に二重傍線]あへむかも」が、「言へばえに」「ひろへば拾ひかてに」の形式を持つたものと考へてよいのである。「けぬかに……」「けぬべく……」と等しく条件の一部が遊離した訣だ。
「えに」から出た「えんに」は、次第に「艶に」の言語情調に近づいて来るが、古いほど「言ひえに」の義を持つてゐた。「説明出来ない程よい」と言つた様な意を示す語が、語原を忘れゝば、「えんに」と言ふ音に意義を求めようとするのが、当然である。だから平安朝の日記・物語類でも、古いものゝ「えんに」の用語例を検すれば、所謂「艶に」とは、関係が薄くなつてゐることが見られるのである。
何の為に、かうした文法上の瘤とも言ふべき前提を置く慣例が行はれて居たのだらうか。

     四
       ――と  も  その一

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ことゞはぬ「樹爾波安里等母《キニハアリトモ》」、うるはしき君がたなれの琴にしあるべし(万葉巻五)
山川を中に へなりて「等保久登母《トホクトモ》」、心を 近く思ほせ。我妹《ワギモ》(同巻十五)
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たとへば、「見とも飽かめや」は、正しくは「見とも見飽かめや」である。又もつと正式と見えるもので言へば、
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「松浦川 七瀬の澱は よどむとも、我はよどまず」君をし待たむ(同巻五)
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の如く、「よどむともよどまじ」と謂つた形になるものである。但、此場合、「われはよどまず」は副詞句で、待たむ[#「待たむ」に傍線]の文法的職分に統合せられる地位にあるものとして、此で正しい訣である。つまり、第一句以下第四句までゞ、完全に序歌となつてゐる訣である。かう言ふ形が「とも」の本格の用語例の外貌であつたに違ひない。
又、「木にはありとも」で見ても、「……木にはありとも、君が手馴れの琴の木[#「琴の木」に白丸傍点]にしあるべし」と言ふ意識は、忘れながらにも、失せきらなかつた事を見せてゐる。
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にほどりの「息長《オキナガ》川は絶えぬとも」、君に語らむこと つきめやも(同巻二十)
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「息長川は絶えぬとも絶ゆることなく[#「絶ゆることなく」に傍点]、其如く、君に語らむことも絶え尽きめやも」と言ふのである。
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島の宮 上の池なる放ち鳥。あらびなゆきそ。君不座十方《キミイマサズトモ》(同巻二)
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「君いまさずとも在すが如く[#「在すが如く」に傍線]して」、荒びなゆきそである。
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あたひなき宝と言十方《イフトモ》、一坏《ヒトツキ》の濁れる酒に、豈まさらめや(同巻三)
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無価宝珠と言ふとも、宝ならざる[#「宝ならざる」に白丸傍点]如く、一坏の酒にはまさらじと説くべき過程を経て、
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