わり]
「べく」の例ではあるが、大体において同型であることは、言ふを俟たない。その上に言つてよい事は、全体として、「かに」よりは、「べく」の方が、近代的な感触を持たせた発想法であり、文法でもあつたと言ふ点である。それが更に、端的に「けぬべく」を固定して行つたらしいものに多く見ることが出来る。
「べく」を以てした万葉に現存する例では、「露」と「雪」とが、数を争ふ程、人気のあつた事を示してゐる。さうして、我々が最妥当性を感じる霜においては、却て尠くなつて来て居る。だが、当時実際の歌謡界において、さうであつたと言ふ訣には行かないと考へる。
「失す」「過ぐ」或は「立つ」などを起すのが慣用である所の、霧に用ゐられたものすらある。
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思ひ出づる時は すべなみ、佐保山に「立雨霧乃応消《タツアマギリノケヌベク》」思ほゆ(同巻十二)
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此は、類型の一転であらう。
かう言ふ風に、天象の中、降りながらふ物に自由に移つて行くのは、慣用と頓才的飛躍がさうさせるのである。枕詞の内包が性質を換へて行くのと、同じ行き方に過ぎない。
これほど、「消ゆ」と言ふ、銷沈、煩悶或は悶死を意味する語と関係深く、又其と聯結する事によつて、一つの慣用句を形づくるのに満足した所の、古代人の心を考へる必要がある。
だが天象と、「けぬかに」「けぬべく」との間の交渉を言ひ続けてゐることから、幾分の喰み出しが出来るやうになつて来た。
譬へばまづ、「露」と「消ぬ」との関係から見ても訣る。この相互の交渉を忘れると、
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秋づけば、「水草《ミクサノ》――尾花の類――花乃阿要奴蟹《ハナノアエヌカニ》」思へど、知らじ。直《タヾ》に逢はざれば(同巻十)
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[#地から1字上げ]………………※[#ローマ数字1、1−13−21]
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……百枝さし生ふる橘 珠に貫く五月を近み、「安要奴我爾《アエヌカニ》」花咲きにけり(同巻八)
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[#地から1字上げ]………………※[#ローマ数字2、1−13−22]
露の「あゆ」と言ふ方面を受けて行き、其が更にさうした出発点をふり落してしまふと、第一例になり、又後には、単に形式としての「あえぬかに」だけが用ゐられる様になる。此例などは、世間では必此感情論理の展開を認めないであらう
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