推す訣である。つまり、「諺」又は「前詞章」を想ひ、其飛躍転用する方法を採つたのだ。
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「『やまとべに にし吹きあげて雲ばなれ』曾岐袁理登母《ソキヲリトモ》」我忘れめや(記)
「山越えて海渡る騰母《トモ》」おもしろき新漢《イマキ》のうちは、忘らゆましゞ(紀)
「大だちを 誰佩きたちて ぬかず登慕《トモ》」すゑはたしても、あはむとぞ思ふ(紀)
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此等も序歌と言へばそれまでだが、諺類似のものを思はせる言ひ方で、その中、「大だちを」の例で見ると、「大だちを……抜く」と言ふのから転じて、と言ふ如くにして「ぬかずとも」と言ふ事になつて居る。
かうした「とも」の、次第々々に助辞的に固定した用語例を持つて来る過程には、記紀の極めて古い例がある。其は必しも、古代の歌の順序が、其成立の順序を示さないからである。だが同時に、其等の例の中に、今日の直観に、極めて近い相似たものがある。
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……むら鳥の我が群れいなば、ひけ鳥の我がひけいなば、泣かじとは汝《ナ》は言ふ登母、やまとの一本薄 うなかぶし汝が泣かさまく 朝雨のきりに立たむぞ……』(記)
忍阪の大|窖《ムロ》屋に、人さはに来入り居り、人さはに伊理袁理登母……』(記)
八田のひと本菅は、ひとり居り登母 大君しよしときこさば、ひとり居り登母』(記)
笹葉にうつや霰のたし/″\に 率寝《ヰネ》てむ後は、人はかゆ登母』(記)
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「泣かじと言ふとも、汝は泣かずはあらじ」と今一度返して居たのだ。が、論理的形式として、末にやはり、「……汝が泣かさまく」と「泣かじと言ふとも……汝が泣かさむ(ま)+く」と解決がついて居る。忍阪の例で見ても、「……入りをりとも……うちてしやまむ」と論理的解決はついて居るやうだ。が、今一つ前には、「入り居りとも、さやらず我は入りて」と言ふ意義を含んで居たに違ひない。
後の二つは、記載例としては遅れてゐるが、同じ感じを持たせる「とも」である。「八田の一本菅は、ひとり居りとも、居り敢へむ」「人はかゆともはかられゐむ(又は離《カ》るとも、離《カ》るに任せむ)」と、やはり呼応するものはあつたのである。其と同時に亦、慣用句に似たものは、受けて来てゐたのである。「むら鳥の……泣かじとは」の句は修飾的には、文法としての勤めは果してゐないが、形式とし
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