り事であるとは言える。又若い頃の悪事が、再自分の身に報いて来る因果応報の物語であるとも言える。然し作者の意図せない意図と言うものがあった。其は今言ったような所にあるのではなく、もっともっと深いものを目指していたのである。学者は其を学問的に説明しようとし、小説家は其に沿って更に新しい小説を書こうとして来た。源氏物語の背景にしずんでいる昔の日本人の生活、更に其生活のも一つ奥に生きている信仰と道徳について、後世の我々はよく考えて見ることが、源氏を読む意味であり、広く小説を読む理由になるのである。
○
源氏物語の中に持っている最大きな問題は、我々の時代では考えられないほどな角度から家の問題を取り扱っている事である。一つの豪族と、他の豪族とが対立して起って来る争いを廻って、社会小説でもなく、家庭小説でもなく、少し種類の異った小説になっている。島崎藤村などは晩年此に似た問題に触れてはいるが、それ程深くは這入《はい》って行かなかった。平安朝は、そうした問題が常に起っていた時代であり、闘争も深刻であった。従って源氏物語も、常に其問題を中心として進められている。最初は源氏の二十歳前に起って来るもので、源氏の味方となって大切にしてくれる家と、どこまでも意地悪く、殆宿命的に憎んでいる家との対立が書かれている。前者が左大臣家――藤原氏を考えていることは勿論である。――後者は右大臣家である。源氏の母の出た家は、豊かではあったが、家柄はそれ程高くはなかった。そうした家の娘が宮中に這入って、帝の愛を受け、桐壺(淑景舎)に居たので、桐壺[#(ノ)]更衣と言われた。所が桐壺は、宮廷の後宮の御殿の中では、一番北東の隅にあって、帝の居られる御殿へ行くためには、すべての女の人たちの目の前を通って行かねばならなかった。而も連日召されることは勿論、一日の中にも幾度か召される。其都度女の人たちの嫉妬心《しっとしん》を刺戟《しげき》して、皆から憎まれ、殊に其中の二人三人の女性の咒《のろ》いを受けたらしくて、病死してしまう。桐壺[#(ノ)]更衣の遺児が光源氏である。源氏は成人して、左大臣家の娘|葵上《あおいのうえ》の婿となる。もともと左大臣の北の方は、源氏の父桐壺帝の妹君が降嫁されたのであって、伯母に当る訣《わけ》である。昔の貴族の習慣として、最初の結婚は必、夫より年上の女性を娶《めと》る事になっていた。此は古い信仰上の結婚の形が、此時代まで残っているのであって、尊い御子《みこ》が幼い間は、やや年上の女人が傍にいて養育し、成長して後其御子と結婚した、宗教上の風習の名残である。だから葵の上も源氏より年上であり、其外、最初の恋人と思われる六条|御息所《みやすどころ》も又年上である。源氏の若い頃の結婚生活はこうした気が置ける人ばかりが相手であって、常々恋愛的に、唯何となく極めて自由らしいものを希《ねが》う心がある。所が源氏十七歳の夏、物語では二巻目帚木の巻の雨夜の階定《しなさだ》めの段で、三人の先輩並びに同輩の話合いの中に、中流階級の女性が恋愛的に意味深いものだと言うことを教えられる。それから源氏の自由な恋愛生活が始るのである。
一方、右大臣家との関係はどうかと言うと、右大臣の長女が源氏の父君桐壺帝よりも、年上の女性である。早くから宮廷に這入っていて、弘徽殿《こきでん》女御と言われた。帝が、後に源氏の生母桐壺更衣を余り寵愛《ちょうあい》なさるので、自尊心を傷ける。女御の怒りは、日増しにつのって行って、まるで咒《のろ》い殺された様な風に死んでゆく。其後源氏にとっても又、右大臣家の人々は非常につれないものになって行くのである。極単純な感情だが、物語の主人公の反対者は、悪い人間である様な感じを持つものである。昔の人は、其をもっともっと強く感じたであろう。主人公である限りは、はじめから善い人にきまっていたのである。古い註釈書には、弘徽殿女御を悪后と言っている。この右大臣家にも、たった一人源氏に対して深い好意を寄せている人が居た。六番目の娘で、後、朧月夜尚侍《おぼろづきよのないしのかみ》と言われた人である。偶然の機会、照りもせず曇りもきらぬ春の夜に源氏と出あったのだが、右大臣家では間もなく宮中に入れようと思っていた娘に、敵の様に思っている源氏がおとずれしていた事を知って、非常に大きな問題になる。其結果源氏は須磨へ追放される事になってしまう。昔の物語の書き方では、貴い人をきずつけるような噂はせぬ礼儀になっているので、源氏の場合も、京に居づらくなって、自ら須磨へ行った事になっている。其上、代々の源氏読みの習慣では、流されたものと見て来た。源氏の亡き父桐壺帝が、源氏を憐れに思って、朱雀院《すざくいん》の夢に現れて嘆かれるので、間もなく京へ呼び返される。其後は、源氏の勢力が俄《にわ》かに盛んになり、右大臣家との争いは終る事になる。
次に、源氏の子供達を中心にして、物語の進みを辿《たど》ってみる。源氏は本とうの子の少い人で、たった二人しかなく、男は葵上との間に生れた夕霧、女は明石上の生んだ明石中宮である。ほかに養子《やしないご》が二人ある。一人は秋好中宮と言って、六条御息所と、その夫、早く亡った先帝《せんだい》の皇太子との間の子である。六条御息所は皇太子の死後、十分な門地財産を持って六条に住んでいる時に、源氏と相知る事になる。非常に貴族的に見識高く、嫉妬心の強い人で、源氏の自由な恋愛生活を怨《うら》んで、生前は生霊《いきりょう》となって葵の上を苦しめ、死後は死霊となって、源氏の二度目の北の方紫の上を苦しめる。源氏は其|怨霊《おんりょう》を慰めるために、其娘を養い娘として、中宮にまでするのである。いま一人は、源氏が雨夜階定《あまよのしなさだめ》以後に得た新しい恋人の夕顔が、それより先に頭中将との間に生んでいた子で、玉鬘《たまかずら》と呼ばれている。源氏が夕顔を連れて、或古屋敷で一夜を過すと、怨霊が出て来て、女をとり殺してしまう。幼児は其直後九州へ下ったのだが、二十になって又京都へ上って来て、偶然の機会から源氏に育《はぐく》まれる事になる。当時、実の父頭中将は内大臣となっている。太政《だじょう》大臣である源氏と、内大臣との間は、会って話し合う事があれば、互にうちとけて昔の親しさに返るのであるが、源氏の長男夕霧と内大臣の娘雲井雁との恋愛問題があったり、其他周囲の事情が色々加って、二人の間は、解決の出来ないものになっている。そうした所へ、玉鬘が現れてくるのだ。源氏は玉鬘を宮中へ上げて尚侍にしようと考えているが、一方には、自分の手もとに置きたいと言うほのかな恋心も湧いて来る。若し宮中へさし上げる段になれば、実父に打ち明けねばならぬのだが、其も何となく気の進まぬ事である。そうした心の定まらぬ日がつづいた後、源氏の伯母で、内大臣の母大宮の病気を見舞った機会に、内大臣に話してしまう。併、結局玉鬘は、宮中に入る前に、鬚黒《ひげくろ》[#(ノ)]大将と言う武骨な貴族に奪われ、其妻となってしまうのである。此には、内大臣の計画がはたらきかけているのである。
こうした事件の流れの中で、源氏は清らかな心で振舞ったり、時には何となく動いて来る人間悪の衝動に揺られたり、非凡な人であったり、平凡になったりして動揺して行く。其姿を大きな波のうねりの様に、まざまざと書いている。
此外に、表面は源氏の実子になっている、薫君と言う男の子がある。母は源氏が年いってからの三番目の北の方で、朱雀院の御子《みこ》、女三宮《おんなさんのみや》である。源氏の若い頃、藤壺[#(ノ)]女御との間にあった過ちと同様、内大臣の長男柏木と女三宮との間に生れた子である。源氏は其事を知って、激しい怒りを、紳士としての面目を保って、無念さをじっとこらえ通している。
時経てから、源氏が出た或酒宴で、柏木も席に列《つらな》っていたが、内心の苛責《かしゃく》から、源氏に対して緊張した態度をとっている。其が却《かえ》って源氏の心の底の怒りに触れて来る。そして源氏は柏木を呼んで、酔い倒れるまで無理強いに酒をすすめる。柏木は其が原因で病死する。源氏が手を下さずして殺した事になる訣《わけ》だ。殺すという一歩手前まで迫った源氏の心を、はっきりと書いたのが、若菜の巻の練熟した技術である。美しい立派な人間として書かれて来た源氏が、四十を過ぎて、そんな悪い面を表してくる。此は厭《いや》な事ではあるが、小説としては、扱いがいのある人間を書いている訣である。大きく博《ひろ》く又、最人間的な、神と一重の境まで行って引き返すといった人間の悲しさを書いている。作者に、其だけの人間の書ける力が備っていたのである。此だけの大きさを持った人間を書き得た人は、過去の日本の小説家には、他に見当らない。
源氏物語は、男女の恋愛ばかりを扱っているように思われているだろうけれど、我々は此物語から、人間が大きな苦しみに耐え通してゆく姿と、人間として向上してゆく過程を学ばなければならぬ。源氏物語は日本の中世に於ける、日本人の最深い反省を書いた、反省の書だと言うことが出来るのである。
底本:「昭和文学全集 第4巻」小学館
1989(平成元)年4月1日初版第1刷発行
1994(平成5)年9月10日初版第2刷発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年4月4日作成
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