だん激しくなる将来が予感せられて来て、此儘《このまま》ではどの様な世の中になるか測り知れないと、其対策が自ら浮び上って来た。其結果、皇族を臣下の列に加えて、力の有る者を作ろうと言う事が、奈良朝頃から行われた。平安期の初期には、其が殊に盛んである。こうした人達には、源氏を名のる者が多かった。其為に、源氏を称することを許された人が源氏であるのを、更に一番多い称号だという所から、皇族から臣下に降下した人をすべて、源氏と汎称《はんしょう》する様になった。其人々の中で、殊に人がらも優れ、容貌も優れていた人の事をしるした物語と言う意味で、昔から「源氏の物語」又は「ひかる源氏の物語」と言っていた。帚木《ははきぎ》の巻のはじめに「光源氏、名のみこと/″\しう言ひけたれたまふ。……」と書かれているのも、「光り輝く皇族出の公子、噂ばかりでは、何だ彼だと大げさに悪口なども言われていらっしゃる。……」まあこう言う風の表現なのである。

    ○

源氏物語は何時頃書かれたかと言う事も大事だが、其よりもっと大切な事は、何時の時代を書いたか、と言う事である。源氏物語の世界は、平安朝に這入《はい》って凡《およそ》十代を経た時代、皇族から臣下に降《くだ》る事はまだまだ行われていたが、どうしても藤原氏の勢力に押され、そうした運動の無謀さが省みられ、凡情熱の磨滅せられ出した宇多・醍醐の帝の時代を書こうと言う、漠とした予期があったのである。此は、紫式部の時代より数代前の事になる。こうした歴史に沿った物語を書く場合には、不断聞いたり見たりしている人の事が、自らもでる[#「もでる」に傍点]となって出て来るものである。源氏物語の中にも、これは誰がもでる[#「もでる」に傍点]だと言われる類型は沢山あるが、光源氏のもでる[#「もでる」に傍点]だと言われるのは、部分部分では、いろいろな人を思わせるような書きぶりがあるが、全体としては、平安朝を通じて、最著しい藤原道長を目標においているようである。此人は、後の人々からは、おもしろくない人の様に見られているが、昔の人は、今の人の思うよりも、もっとゆったりした世界に住んで、非常に大まかな生活をしていたのである。光源氏の成熟し切った生活の様子は、その道長の盛んな生活ぶりを、おおらかに胸に持ち、はぐくみ乍ら作者がうつし出したものと考えてよい。源氏物語には又、女源氏と言われる
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