。此は古い信仰上の結婚の形が、此時代まで残っているのであって、尊い御子《みこ》が幼い間は、やや年上の女人が傍にいて養育し、成長して後其御子と結婚した、宗教上の風習の名残である。だから葵の上も源氏より年上であり、其外、最初の恋人と思われる六条|御息所《みやすどころ》も又年上である。源氏の若い頃の結婚生活はこうした気が置ける人ばかりが相手であって、常々恋愛的に、唯何となく極めて自由らしいものを希《ねが》う心がある。所が源氏十七歳の夏、物語では二巻目帚木の巻の雨夜の階定《しなさだ》めの段で、三人の先輩並びに同輩の話合いの中に、中流階級の女性が恋愛的に意味深いものだと言うことを教えられる。それから源氏の自由な恋愛生活が始るのである。
一方、右大臣家との関係はどうかと言うと、右大臣の長女が源氏の父君桐壺帝よりも、年上の女性である。早くから宮廷に這入っていて、弘徽殿《こきでん》女御と言われた。帝が、後に源氏の生母桐壺更衣を余り寵愛《ちょうあい》なさるので、自尊心を傷ける。女御の怒りは、日増しにつのって行って、まるで咒《のろ》い殺された様な風に死んでゆく。其後源氏にとっても又、右大臣家の人々は非常につれないものになって行くのである。極単純な感情だが、物語の主人公の反対者は、悪い人間である様な感じを持つものである。昔の人は、其をもっともっと強く感じたであろう。主人公である限りは、はじめから善い人にきまっていたのである。古い註釈書には、弘徽殿女御を悪后と言っている。この右大臣家にも、たった一人源氏に対して深い好意を寄せている人が居た。六番目の娘で、後、朧月夜尚侍《おぼろづきよのないしのかみ》と言われた人である。偶然の機会、照りもせず曇りもきらぬ春の夜に源氏と出あったのだが、右大臣家では間もなく宮中に入れようと思っていた娘に、敵の様に思っている源氏がおとずれしていた事を知って、非常に大きな問題になる。其結果源氏は須磨へ追放される事になってしまう。昔の物語の書き方では、貴い人をきずつけるような噂はせぬ礼儀になっているので、源氏の場合も、京に居づらくなって、自ら須磨へ行った事になっている。其上、代々の源氏読みの習慣では、流されたものと見て来た。源氏の亡き父桐壺帝が、源氏を憐れに思って、朱雀院《すざくいん》の夢に現れて嘆かれるので、間もなく京へ呼び返される。其後は、源氏の勢力が俄《にわ》かに
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