ものは、いろ/\形が変つて了うたものが多いが、東京附近では、赤塚村の諏訪神社で行はれるものが、一つの典型的な形と見られる。
田※[#「にんべん+舞」、第4水準2−3−4]ひに就いては、古い文献もある。日本紀に、天智天皇の十年五月、群臣と西[#(ノ)]小殿に宴して、此を御覧ぜられた事が出て居る。田※[#「にんべん+舞」、第4水準2−3−4]ひの名が、ものゝ上に見えて居るのは、此が最初であるが、実際はもつと、古くからあつたに相違ない。
しかし、此田※[#「にんべん+舞」、第4水準2−3−4]ひは、早く民間を離れて、宮廷のものになつて了うた様だ。少し後れては、雅楽寮の諸師の員数を定めた中に、田※[#「にんべん+舞」、第4水準2−3−4]師幾人を置く、と規定した官符などが見られるほどで、其頃になつては、最早、民間の行事ではなくなつて了うて居たと思はれるが、やはり此は、元は五月の田植ゑに関したものが、いつか宮廷に採り入れられて、舞ひぶりで、変化させられたのだと思ふ。
田歌を、田※[#「にんべん+舞」、第4水準2−3−4]ひの歌詞であつたと見るのには、問題がある様だが、此二者には、どうも関係がある
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