る。だが仔細に観察すると、その両方の語の含んでゐる古格の言語表情が、可なり複雑な姿を見せてゐて、さう言ふところに、尋常一様ではいかぬ文法上の問題があるのではないかと言ふ気持ちの、時々の偶感には、起つて来るものがある。其と共に、尚一層熟考してゐる中に、両者の間の相違点と思はれたものが、存外却てこの二つの語族のきり放されぬ関繋にあることを示してゐる、さういふ事に心づく。――かう言ふ経験が、私には屡※[#二の字点、1−2−22]あつた。かう言ふ点も、私だけに限つた感情か、其とも、誰の上にも起つて来る普遍質を持つたものか、さう言ふことを考へて見ようと思ふのである。
私の之に続けて書かうとする第一部は、私個人にとつては、久しい懸案で、殆ど書かないまゝで四十年に近い年月を経た。その間に、進んだ学者は既に、幾分その成迹の報告をしてゐられる。大正初年の「東亜の光」に出された、坪井九馬三博士の論文は、その有力なものであつたと記憶する。私の此から引用する若干の例の中、既にその論文に出てゐるのもあるほどで、私としては自由に考へて来たことながら、どんな点かで、そのおかげと影響とを受けてゐるかも知れぬのである。
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