その逆様式のものは極《ごく》稀なと言ふよりも遥かに少い。さう言ふ語が鏤められたやうにまじつてゐるのが、事実である。決して逆語序の語ばかりの行はれた時代は勿論、其が非常に勢力のあつた時期の姿と言ふのをすら、見ることが出来るのではないのである。
其かと言つて、日本語成立の一つの方向から出て来る、当然の二分派とは考へられない。恐らく別々の系統から出た二様の様式が、日本語の上に、長く痕を引いて残つたものと見るのが、一番無理のない考へ方なのであらう。所謂逆語序の方が優勢を持つた時代は、書史の現実には見ることが出来ないのだが、だからと言つて、其が全然空想だとは言へない――理論的確実性を持つてゐるのである。
「したぐつ」の方は、右様の溯原を試みることが出来るが、下簾の方は、遅くはじまつたものか、今日存する文献・古典類に留りにくい事実があつて、早い姿を見せなかつたものか、ともかく、平安時代より、古いものは見出すことが出来ぬ。併し此と同類の様式のものは、当然臨時にも出来る訣なのだから、「した××」と言ふ形の熟語のあつたらうといふことは、言つてさし支へのないことである。
二 片何
必しも万葉に偏寄つて、同種の例を求めねばならぬと言ふ理由もないが、語に、円満な理会の得易い、親しみがあるから、之を採る訣である。万葉にもあり、他にも相当に多く現れて来る語に「片岡」といふ地形・地理に関した語がある。地名である理由から、古語でありながら、今も生きて使つてゐる地方が相当にある。語原意識を明らかに見せた傍岡・傍丘など言ふ記載例もある。
「をか」と言ふ地形の印象の強い所から、岡を中心としての地形を思ひ浮べる習慣が我々の間には出来てゐる。「岡の傍の山」と言つた風に、片岡山など言ふ地名にして、地理観念の調節を行うた地方もある。
「かた山」と言ふのも、同型の語である。傍岡・傍山は岡の傍の一地・山の傍の一地で、その山・岡の傍なる地が直に山や岡であることは要せぬのであるが、普通変化のない地の状況から、岡・山の傍にあるそれ/″\の地までも、岡・山と考へくるむ癖があつたのである。
皇陵の散列してゐる大和北葛城郡の傍丘は、狭いけれども、極めて長い地勢である。南北三里に渉る丘[#「丘」に白丸傍点]の傍[#「傍」に白丸傍点]の平地[#「平地」に白丸傍点]で、逆語序に言つた習慣に固定したかたをか[#「かたをか」は太字]の地で、如何にも「丘傍《ヲカガタ》」と言ひ替へてもよい気のする地である。ところが、後漸く語感の変化に誘はれて傍の丘又は、里の傍の丘と言ふのに近く、聯想の移動して行つて、久しく固定したまゝに用ゐられた地である。
傍丘の名のついた其丘は、近代「馬見山《マミヤマ》」と称へる丘陵で、北は法隆寺の南方の岡崎と言ふ地から起り、その丘陵地帯が西から南へ廻り、東に向つた所に又、岡崎と言ふ地があつて、そこで岡はきれてゐる。この岡崎から岡崎に渉る丘陵を「丘」と言ふやうになつたので、元はその「丘」のほとりの平地帯が、傍丘であつたのである。この傍丘地方にある丘故、遂に丘を傍丘といふ風に考へ、片岡山と言ふ名で、その丘を呼ぶのが、古くから岡の方に移つた地名なのである。
片岡は分布の多い地名で、山城にも、名高い二つの片岡がある。万葉には、何処の丘陵地帯を言つたのかわからないが、「片岡のこの向つ尾に椎まかば……」(巻七)と言ふのがある。「傍丘山即この向ひの丘《ヲ》なる傍丘山」と言ふ風に解するやうだが、こゝも亦、「岡の傍の村(平坦地)の向ひの岡」と言ふことで、岡から起つた地名の、其地の前に立つ岡をさすのである。
三 竪橋との関係
次に誰でも承認しさうな例は、はしだて[#「はしだて」は太字]である。天梯立など言ふと、今も、我々の中に生きた語序として歴然として残つてゐるのだが、おなじ古廃語らしい感じにある「かけはし」(桟)「いははし」「つぎはし」などとは、全く別の素質を持つてゐることが考へられる。普通、橋が横(水平)か、勾配を作つてか懸けられてゐるのに対して、竪《タテ》(垂直)に上屋や屋上や、又軒先から上の空にかけられることがあり、時としては信仰の上から――その場合が却つて多いのだらうが、屋上の虚空を横ぎつてある地点に渡されてゐるものと考へた――さう言ふ橋に到るまでも、(まだ間木《ハシ》と言つた語原観を意識しながら)はしだて[#「はしだて」に傍線]と言つてゐた。我々はやゝ遅れて、梯《ハシ》の子《コ》・はしご[#「はしご」に傍線]と言ふ愛称を加へた語ととり替へるやうになつた。かう言ふはし[#「はし」に傍線]の両語序に渉つて聞える様に出来てゐるのが、くらはし[#「くらはし」に傍線](倉梯)である。空想上の天の梯を、さう頻繁に考へなくなつた頃に、倉梯立と言ふやうな語原意識を持つたまゝで
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