固定させ簡略にしたものであらう。「神の秀倉《ホクラ》も、梯立のまゝに」(垂仁紀)とあるはしだて[#「はしだて」に傍線]は、倉の上屋階《アチツク》に鎮安する神霊に奉仕する為のはし(梯)であつたのだ。
昭和年代に入つても、沖縄本島でまだ見かけた梯子の古風なものは、太い一本の柱に、足がゝりとなるやうに、鉈でゑぐつて間隔をつけた、一本梯子といふべきものであつた。之を何処にでも立てかければ、極簡易に梯子の用をするやうになつてゐた。はしだて[#「はしだて」に傍線]など呼んでゐた時期は、此種のものを用ゐたのだらう。水平にかける橋のやうに、両端を物にもたせかける要がないのである。
播磨風土記揖保郡の「御橋の山は、大汝命の造つたもので、積《ツミテ》[#レ]俵[#(ヲ)]立[#(ツ)][#レ]橋[#(ヲ)]、山、石橋に似る」とある。竪橋として空に向けて竪てたことを考へてゐる。同じ印南郡の「八十橋」が、天に届いてゐた時分、八十人《ヤソヒト》の上り下りした石橋と言ふ伝説と通じる所がある。此も一本梯子を考へてゐるものと見られる。
梯立が逆語序のものであらうと言ふことは、坪井博士も述べてゐられた筈である。

     四 殯(もがり)

今まであげた熟語は、私の考へを裏切る筈はないと思ふが、相当に疑はしいものもある。
殯宮・殯斂の殯の字は、もがり[#「もがり」に傍線]或はあらき[#「あらき」に傍線]と訓むことは誤りでないらしい。今日でも、大体語原ははつきりしない。ほなしのあがり[#「ほなしのあがり」は太字]の、火無殯斂を意味するらしい所から、あがり[#「あがり」に傍線]が神あがりなどのあがり[#「あがり」に傍線]と同じであり、もがり[#「もがり」に傍線]は、喪あがり[#「あがり」に傍線]だといふ風に説いて来たが、この説自体やゝ矛盾があり、ほなしのあ[#「あ」は太字]がり[#「ほなしのあ[#「あ」は太字]がり」に傍線]の古語も、ほなしのも[#「も」は太字]がり[#「ほなしのも[#「も」は太字]がり」に傍線]の誤記でないとは言へない。もがり[#「もがり」に傍線]は元、本式に喪葬することでない。ある時期の間、いまだ離れない霊を持つたまゝの屍を、別所に据ゑて置く儀礼である。まだ生人の待遇を捨てないのだから、宮廷では、「大行天皇」と、古くは称してゐた。屍を呼ぶ名であり、霊魂を名ざしての称へである。
もが
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