し」に傍線]はまだよいとしても、きこえ[#「きこえ」に傍線]・とよみ[#「とよみ」に傍線]・しられ[#「しられ」に傍線]などの位置や、意義は日本的であつて、而も日本語的でない所を容易に観取することが出来る。つまり沖縄独自に発育した傾向をまじへてゐるのだ。唯、「君」は其等の中でも、古風であり、日本的に、非常に親近感を持たせる形態である。かう言ふ敬称の語には、逆語序にも正語序にも、かうしたものも亦、相応にあつたのだらう。其が又更に、琉球自身において、其を土台とした敬称の飛躍が行はれ、日本的にも理会出来るが、方言上に新しい方法が開けて来たものと思はれる。敬称の言語態様は、中世末の琉球で大きい飛躍をしてゐるやうだし、沖縄の歴史も、其頃明確度を増して来てゐる。敬称の問題は、此時期前後に属するものが多い。日本で言へば、鎌倉室町時代の後先のことである。
何としても、その前に漠たる古代が、沖縄の語の上にあつて、形容詞や副詞の上に、日本母語との間にひらきを作つて来てゐる。私どもはこの語法の相違を見ると、此は容易な短い時間の為事でないと思ふ。
元非常に近似してゐた形容詞・副詞の各条件が、日琉双方で、大きな分袂を遂げたのと、語序の問題とは、相関聯させながら考へて行く必要があるだらう。唯、品詞の分化よりも、語序の方は恐らくもつと時代をかけて来てゐるであらう。日琉共に、次第に語序を改めて行つた姿は明確につかまれないけれども、確かに双方に共通する幾つかの状態があるに違ひない。其を見る為には、此まで挙げて来た様な、逆語序に属する幾多の個々の単語を積み重ねて行く外はなからう。さう言ふ為事を、南方諸島の上にもひろげて行かねばならぬ。さうして、既にある部分まで整理せられて来た南方支那・南洋の語序研究に投合して行く日が来る。私は語序の一致を以て、語族圏を描かうとするのではない。が、我々がある点はまだ空想に残してゐる神話民族圏と、相当に一致するものがありさうなのである。
唯その中沖縄諸島ばかりは、語序の一致よりも、先に語族としての一致が言はれて居り、更にもつとひろく、民族の親近性が認められて来てゐるのである。
私が語序論を書くに到つた悲しみは、永劫に贖はれないものであらうか。
底本:「折口信夫全集 12」中央公論社
1996(平成8)年3月25日初版発行
初出:「民族学研究 第十五巻第二号」
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