であらう。王にも、大巫にも用ゐてゐるのだが、多くは巫女の称となつて、「三十三君」などと、汎称するやうになつた。
第二は恐らく、あんじ(按司)であらう。此は男性には、貴族・領主の称号として通つてゐる。が、あじ[#「あじ」は太字](按司)と単音化するやうにもなつた。語から見れば、あるじ[#「あるじ」に傍線]の音化したものとも言へるが、かわら[#「かわら」に傍線]といふ敬称と対句になつてゐるのだから、その点も考へねばならぬ。男にかわら[#「かわら」に傍線]→ちやら[#「ちやら」に傍線]→さら[#「さら」に傍線]といふ如く、女性にもをなさら[#「をなさら」に傍線]・をなちやら[#「をなちやら」に傍線]など言ふ。勿論あんじ[#「あんじ」に傍線]は女性の尊称としても、多く使はれた。其上、あんじ[#「あんじ」に傍線]には、諸侯階級を示すやうな慣用が著しい。
あんじ[#「あんじ」に傍線]とかなし[#「かなし」に傍線]とを重複させると、敬意が深くなる。王妃又は其に相当する尊称であつた。複合する敬称は、こゝには省くが、さうした複合の為に、かなし[#「かなし」に傍線]などの敬意表現の程度が弛緩して来たらしい。恐らく王又は最高巫に使つたらしいかなし[#「かなし」に傍線]が、相当に自由に用ゐられたのであらう。琉球最上の女性が王妃と言ふことになつたのは、尚質の代からである。其までは、宮廷の大巫、きこえおほきみ[#「きこえおほきみ」に傍線](聞得大君)が神に親近する関係から、最上位の女性であつた。国王を天かなし[#「天かなし」に傍線]・首里かなし[#「首里かなし」に傍線]と呪詞の上では言つてゐるのと同様である。あんじ[#「あんじ」に傍線]の場合も、尚円を神号「金丸按司添《カナマルアジソヒ》」、尚清を神号「天続之|按司添《アジソヒ》」、尚元を「月始按司添」、尚寧を「目賀末《メガマ》按司添」、尚豊を「天喜也末按司添」とつけてゐる。明の崇禎十四年、王位に即いた尚賢以後は、神号が絶えてゐる。添はおそひ[#「おそひ」に傍線]で、「浦添」など記されてゐる襲に当るもので、合理的に解釈すれば、按司たちを支配するものだから、襲――添をそへて「按司添」と称したととれる。が、添の義はさうであつても、既に敬称が重複してゐるものと見てよい。でないと、按司の尊称たる謂はれがなくなる。その後、貴族一般に用ゐるやうになつて来た
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