から、仮葬と言つた気味あひを表現したがる傾向が現れて、もがり[#「もがり」に傍線]と言つた上に、更にかりもがり[#「かりもがり」に傍線]と言ふ「重言」のやうな表現が出来たのであつた。
殯斂の式だつて、様式の相当に違ふ所から、必しも漢土の喪葬を学んだのではなく、わが民俗にも固有してゐたものと言へるが、其も亦、古代日本全体に渉つて行はれたとも断言は出来ない。之を行はない地方や、部種族のあつたことは、痕跡を認めることも出来る。沖縄地方全体に、風葬・洗骨の風が認められるが、此とても、どの時代にも、どの地方にも通じてあつた葬風であるとは言へない。沖縄より北の日本人全体には、近年まで、同じ風の存在したことは、承認せられてゐなかつたが、今日では、曝骨・洗骨と近接した民俗の痕跡は、次第にその姿をあらはにして来てゐる。
五 赤裸
今一人の逆語序論者金沢庄三郎先生は、裸(はだか)は赤肌(あかはだ)と言ふ旧来の説によつて、語序の逆になつたものとしてゐられた。
唯、殯と言ひ、此と言ひ、語原観から推して、之を証明しようとするのは、結局一つの学説の上に立つて、更に今一つの学説を立てることになるのである。語原説が完成しなければ、学説として確かなものには見なされない。
もがり[#「もがり」に傍線]説よりも、肌赤説の方が、直観的に真実らしい気はする。この場合にも、赤裸(アカハダカ)と言ふやうな形で、古い印象を呼び返さうとする、重言のやうな現象が出て来るのは、注意すべきことである。語序転換には、重言過程を経てゐるとも言へるし、日本における重言の成立には、語序の変化が原因となつてゐる点があると見ねばならぬ。
私は、日本の国の文献の辿ることの出来る限りの最古の時代に溯る前に、まづ、平安朝式の語感を持つた語を検査した。今はまう少し進んで、日本語として最古い時期の古語においては、どんな姿をとつてゐたかを見ようと思ふ。
六 「さね」と言ふ語及びぬし[#「ぬし」に傍線]
神主・神実といふ語は一括して説いてよい。むざね[#「むざね」に傍線]と言ふのは、語原的には身実《ムサネ》・身真《ムサネ》など宛てゝよい語で、心《シン》になつてゐるからだ・からだの心《シン》などと訳してよいだらう。正身《シヤウミ》・本体など言へば、近代的にもわかる。神実《カムザネ》・神主など言ふ語も、神の中心的な存在・生
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